身長139cmで手足の不自由な私が、営業で売上No.1を獲れた理由。

入社1年目は1日約20件の飛び込み営業をした

——なぜ、お父さまの会社に転職されたんですか?

電話営業職に就いて1年半ほど経ったころ、「自分は電話営業を一生続けるべきなのかな?」と悩んだんですね。1年の7〜8割は月間売り上げでトップを取れるようになり、ステップアップしたい気持ちがありつつも、成長の限界値を感じたんです。そんな時、コロナが流行し、私は障害があるため感染リスクが高く休職することになりました。

自宅で今後のことを考えていたら、「やっぱり夢だった訪問営業をやってみたい」という想いが沸々と湧き上がってきて。「挑戦してみようかな」と、一から就職活動をする覚悟で1社目を退職しました。

そのタイミングで父に、「他社でそれだけ稼ぎよるんやったら、うちの会社でもどれだけできるかやってみろ」と誘ってもらったんです。父はそれまで、重い荷物を持ったり運転したりしなければならない訪問営業の仕事に反対していましたが、コロナ禍で、訪問営業主体だった会社の営業スタイルが電話営業も取り入れる方向に変わりつつあったので、「今なら、海斗も活躍できるかもしれん」と。


2021年1月、一般雇用の正社員として入社。従業員11人中、営業職は山﨑さんを含め4人だそう

——訪問営業はうまくいきましたか?

1年目は半年ほど電話営業に専念し、その後は1日20件ほど飛び込み営業をしていたので、体力的にも精神的にも「今日もダメか……」となる日が多かったです。私の見た目は確かに印象に残りやすいですが、それだけで契約につながることはありません。門前払いされることもよくあります。

取引先には、営業しに行くというより「知人を訪ねる」感覚で出向いています。今では深いお付き合いのお客さまも増え、2024年は、現時点で1月から9月まで売り上げトップを獲ることができています。


山﨑さんは小中高等学校での特別授業や講演にも出向く。流暢で分かりやすいトーク力から、企業や自治体からの講演依頼も増えている

——幼少期からの夢が叶ったんですね。

私はおしゃべり好きな両親の元で育ったおかげで、「話す力」だけは人に負けない自信があります。それを「営業」や「講演」に活かせていることで、障害というマイナス面を、プラスに変えることができているんですよね。

周りの人にはできて自分にできないことがたくさんある中で、自分が障害をマイナスに捉えてしまったら、そこから変わることはできません。「こうしたらもっと上手くいくかも」「皆工夫しながらはたらいとるんやけん、自分も工夫すれば大丈夫」と、なんでも前向きに考えるようにしています。

今では、唯一ネガティブにしか考えられないのは恋愛くらいですね(笑)。

(文:原由希奈 写真提供:山﨑海斗さん)