「あれが本塁打にならないから、引退なんですよ」オリックスT-岡田、現役最後の打席で心に刻まれた“最初で最後”の応援歌

オリックス・バファローズ一筋19年。今季を最後にプロ野球選手として現役生活を終えたT-岡田(36)。長年チームが低迷していたときも3連覇を成し遂げたときもチームを支え続けてきた功労者で、球場では誰よりも大きな声援を受ける。ファンにとって特別な選手、T-岡田に引退した今の心境を聞いた。(前後編の前編)

引退して変わったこと

「揚げ物が食べられるようになりましたよ。僕太りやすいんで、現役中は控えてたんですけど」

引退して何か変わったことはあるかを尋ねると、オリックスを牽引してきた大砲はそう言って微笑んだ。

「引退試合が終わって、1か月半ぐらいかな。けっこうのんびりはできていて。それこそ最近は息子の小学校の運動会にも初めて参加したり、家族との時間が作れるようになりました。現役時代は参加できなかったですけど。

特にここ3年は今の時期まで日本シリーズがありましたから。秋まで野球できていたので、ちょっと時期的に難しかったのもあって。よく『パパが来てくれて息子さん喜んでるんじゃないですか?』って言われるんですけど、多分僕のほうが喜んでます(笑)」。

名門・履正社高校では1年から4番を任され、高校通算55本塁打を記録。2005年ドラフトでオリックスに入団して19年間、そのすべてを野球に捧げてきた。

「引退してからは戸惑いというか……うん、何していいかわからん(笑)。息子たちが保育園や小学校に行った後は、もっぱら球団ロッカーから引き上げてきた荷物の整理ですね。妻から『これいつ片付くの?』って怒られてるので。でも(野球道具を)片付けながら、やっぱちょっと感慨深くなるんですよ。いろいろ思い出したりしてなかなか進まない」

思い出が詰まった道具は、今までお世話になった人に譲るつもりだと話す岡田。後輩たちにはさぞ多くのものを置いていったかと思いきや、

「後輩に譲ったものはあんまりないかな。僕、ロッカーが端っこで。ちょっと他よりスペースあるんですけど、ラオウ(杉本裕太郎)に『はよ、ロッカー開けてください』って急かされて、 ロッカー譲ったぐらいです(笑)。

ラオウには……頑張ってほしいんですよ。もう彼のポテンシャルからしたら、僕なんかより全然高いし、全然こんなもんじゃない。もう1回、来年、ほんまに自分追い込んで、やってほしいですよね」

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「打席に入ると応援歌は聴こえないけど、現役最後の打席だけは…」

T-岡田、本名は岡田貴弘。2009年、翌年から指揮を取ることが決まっていた岡田彰布と名字が被るということで、ファンからの公募で決まった登録名が「T-岡田」だった。今では球団の垣根を越え多くの野球ファンに愛されているこの名前だが、当時の岡田は複雑な思いもあった。

「どうなんやろって。正直、やっぱそれが1番大きかったです。全然嫌ではなかったんですけど、『これはパッとしなあかんぞ』って。ほんとそれしかなかったですね。でもそれこそT-岡田にした年(2010年)に、本塁打王を取れたのでそれもあって、ある程度定着したのかなっていうのもあった。

今となったら『岡田貴弘』って言われても誰やろ? ってなりますよね。T-岡田じゃないとたぶん僕ってわからない人のほうが多いんじゃないかな。(引退後も)一応活動はT-岡田でしていく予定です」

登録名と並んで、T-岡田を特別なものにしたのは、稀代の名曲と言われる応援歌。哀愁あふれるトランペットの前奏からの「岡田!岡田!」コール。岡田の耳にあの応援歌はどのように届いていたのだろうか。

「うちの応援歌ってけっこう難しいやつ多いじゃないですか。その中でも僕のは歌いやすいですよね。そういう意味で歌ってくれる方が多いのはやっぱり嬉しいですよ。嬉しいですし、本当にめちゃくちゃおっきい声で歌ってくれる。

あと、『バファエール』(チャンステーマ)はやっぱりグッときますね。でも……正直シーズン中ってそこまで聴いてる余裕はなくて。打席に入る前はある程度聴こえるんですけど、入っちゃったらそんなに聴こえなくなるんですよね」

少し間をおいて、岡田は続ける。

「ただ、引退試合の日はもうこれ聴けるの最後やと思って。初めてあの応援歌を意識して聴いたというか。心に刻み込んでました」

9月24日、京セラドームで行われた引退試合。9回2アウト。思い切り振り抜いたボールはライトスタンド最上段。しかし、わずかにポールの右に逸れる。あのとき、打球を見送りながらしゃがみこんだ岡田は、少し笑っていたように見えた。まだ現役でやれるのでは……という我々ファンの淡い期待をよそに岡田は毅然とした口調で言う。

「あれが本塁打にならないから、引退なんですよ」