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王子「おい、俺様の代わりに罰を受けろ」
世界史のどの時代を見ても、人々による王族への崇拝には並々ならぬものを感じます。
たいていの王族は、”神の生まれ変わり”とされたり、”平民が触れてはいけない存在”として特別視されてきました。
その中で生まれた奇妙な風習の一つが「鞭打ち少年(whipping boy)」です。
これは中・近世ヨーロッパの王宮に広く見られた慣習で、当時の歪んだ倫理観を知る上でも貴重な史実となります。
現代で同じことをすると一発退場ですが、一体どんな習わしだったのでしょうか?
目次
手出しできない王子の代わりに、体罰を受ける代理人鞭打ち少年に選ばれるのは「出世の第一歩」だった?
手出しできない王子の代わりに、体罰を受ける代理人
中・近世ヨーロッパにおいて、王族は「触れることのできない神聖な存在」と見なされ、神によって守られていると考えられていました。
そのため、王やその跡継ぎである王子に手を出すことは重罪であり、ときには死刑になることすらあったのです。
側近が王に手を出すというのはほぼありえませんが、幼い王子には教育的指導をしなければならない場面が必ずあります。
悪さをしても叱らず、甘やかすばかりでは、将来、一国を背負って立つ立派な王にはなれません。
ではそんなとき、手出しできない王子に対して、どのように叱責したのでしょうか?
家庭教師による王子への体罰は許されなかった/ Credit: commons.wikimedia
歴史上、跡継ぎの王子には専属の家庭教師がつき、王に必要な学問を広く教えていました。
王子といえど子供ですから、悪さもしますし、間違いや違反もたびたび犯したことでしょう。
しかし家庭教師の方が位が低いため、叱りたくても、王子には手出しできなかったのです。
そこで用意されたのが「鞭打ち少年(whipping boy)」でした。
鞭打ち少年とは、いわば”体罰の代理人”であり、王子の側で一緒に高度な教育を受けながら、王子が過ちを犯したときには、代わりに鞭打ちなどの体罰を受ける存在を指します。
若きエドワード6世と鞭打ち少年を描いた画(作・1882年)/ Credi: en.wikipedia
現代の感覚からすれば、あまりに無茶な話ですが、そこには手出しできない王子を反省させるためのれっきとした狙いがあったようです。
王子からすれば、鞭打ち少年は一緒に長い時間を過ごす、数少ない友人の一人でした。
そんな友人が自分のミスのせいで鞭打ちを受けるのですから、心を痛めないはずがありません。
この風習の発案者は、友情の心理作用を利用して、王子に反省を促そうとしたのです。
では、その効果はいかほどだったのか、歴史的記録を見てみましょう。
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鞭打ち少年に選ばれるのは「出世の第一歩」だった?
鞭打ち少年に関する歴史的記録は少ないものの、いくつかの実例が書き残されています。
例えば、若き日のイングランド王・エドワード6世(1537〜1553)には、バーナビー・フィッツパトリック(Barnaby FitzPatrick)という少年が、体罰の代理人としてつけられていました。
1592年の記録によると、バーナビー少年は幼いエドワード6世が汚い言葉や冒涜的な言葉を吐いたときに、代わりに鞭打ちを受けたといいます。
あまりに可哀想な役割とお思いでしょうが、実は鞭打ち少年に選ばれることは王宮の中で出世するための大きな一歩と捉えられていたのです。
1852年に、著名な作家であったハートリー・コールリッジ(Hartley Coleridge)が、次のような記述を残しています。
「代理で鞭打たれることは、高貴な血筋の者にのみ許された特権だった。下位の貴族らは、我が子がその代理に選ばれることを、名誉の第一歩として切に願っていた」
鞭打ち少年は王族と最も親密な関係にあり、重要な情報を得ることで、より高い地位に就くことができます。
実際、バーナビー少年も王宮で最高の教育を受け、成人後には男爵となり、高名な貴族として生涯を過ごしたそうです。
幼き日のルイ15世 / Credit: commons.wikimedia
その一方で、鞭打ち少年の存在が王子に反省を促したという事実に、疑問を抱く専門家は少なくありません。
例として挙げられるのは、若き日のフランス国王・ルイ15世(1710〜1774)です。
彼の家庭教師は王子の遊び相手となるようたくさんの少年を見つけてきて、先と同様に、王子が悪さをすれば、代わりに体罰を与えていました。
ところがルイ15世は少年たちがどれだけ殴られようと、勉学を怠り続け、不品行な行動をやめなかったと言われています。
鞭打ち少年の効果は王子の資質によっておそらく大きく異なった/ Credit: commons.wikimedia
鞭打ち少年を見て、心を痛めるかどうかは王子の資質に関わっていたのかもしれません。
この奇妙な風習は期待通りの効果があまり得られなかったのか、あるいは道徳心が許さなかったのか、時代とともに姿を消しています。
※この記事は2022年7月に掲載したものを再編集してお送りしています。
参考文献
Whipping Boys Were Kids Spanked in Place of an ‘Untouchable’ Young Prince
https://www.ancient-origins.net/weird-facts/whipping-boy-0016963
Fact or Fiction? The Unjust Reality of a Whipping Boy
https://www.ancient-origins.net/history-ancient-traditions/whipping-boy-0014704
ライター
大石航樹: 愛媛県生まれ。大学で福岡に移り、大学院ではフランス哲学を学びました。
他に、生物学や歴史学が好きで、本サイトでは主に、動植物や歴史・考古学系の記事を担当しています。
趣味は映画鑑賞で、月に30〜40本観ることも。
編集者
海沼 賢: ナゾロジーのディレクションを担当。大学では電気電子工学、大学院では知識科学を専攻。科学進歩と共に分断されがちな分野間交流の場、一般の人々が科学知識とふれあう場の創出を目指しています。