83年6月、俳優の沖雅也は新宿西口の高層ホテルの最上階から衝撃の飛び降り自殺を図った。〈おやじ、涅槃で待つ〉と沖のマネージャーで養子縁組していた日景忠男に宛てた遺書が残されていた。作家の亀和田武氏が振り返る。

「日景さんはおよそ女性っぽい美しさとは無縁な人でしたよね。いつも無精ヒゲを生やしているような感じのルックスの人がオネエ言葉を使うことの驚き。まさか沖雅也と関係があるとは‥‥と思わせる意外性もありました。なので、テレビの作り手側も『これは面白いキャラだ、イケる』と踏んだのでしょう。それにしても沖雅也の辞世の言葉『おやじ、涅槃で待つ』。なかなかの人だなと。涅槃なんて漢字で書けませんから。三島由紀夫の小説に出てくるような文学的な雰囲気さえ感じた」

 日景と沖が出会ったのは沖が池袋のバーでバイトしていた頃。その後、日景は芸能事務所を設立し、沖は人気俳優になった。

 日景が経営していた新宿2丁目の喫茶店「シンドバッド」に物見雄山で行ったことがある道頓堀プロレスのリングアナ・マグナム北斗氏は回想する。

「店ではまるでおばちゃんのように座ってたよ。芸能界の個人事務所って社長と同性のいい子を連れてきて二人三脚で育てるというパターンが多い。新加勢大周しかり。日景さんが半分素人なのにタレントとして売れるなんて誰も思わなかったでしょう。またビートたけしさんが、日景さんみたいな人が好きだし、うまく使うからね」

「もういいじゃないですかぁ!」、記者会見で芸能レポーターたちに沖との関係を根掘り葉掘り聞かれ、日景がキレ気味に発した言葉は今も記憶の片隅に残る。

 深夜ラジオでモノマネをしていたたけしは、自身の「スーパーJOCKEY」(日本テレビ系)で日景をレギュラー起用し、日曜午後の人気者となった。

 80年4月、東京・銀座で仕事帰りのトラック運転手大貫久男さんは1億円を拾い、連日ワイドショーで報道され一躍時の人になる。

「びっくりしました。実直にトラック運転手として働いていた人。毀誉褒貶ある中、テレビ局が『ウチの番組にも出てほしい』と思わせる愛嬌がありました。『あの大貫さん』と敬称で呼ばれてましたよね。SNSの時代だと有名になるのも早いですけど、その代わりにバッシングもひどい。のどかな時代でした」(亀和田氏)

 70年代までほのぼのした素人いじりは萩本欽一(83)の独壇場だったが、80年代に突入すると素人いじりにも辛口が求められた。

「大貫さん、拾ったお金でマンション買ったんですよ。メッチャ堅実。堅実すぎて面白かった。思い出すのが日テレで放送されていたツービート司会の『テレビに出たいやつみんな来い!!』(82年)。素人参加のゴングショー形式の番組だったけど、ヤバい奴ばっかり来るから1クールもたなかった。ここでもたけしさん、素人の大貫さんをレギュラーコメンテーターで使ってた。大貫さんはほとんどしゃべれず、明らかにスタッフに何かを耳打ちされて言わされてるんだけど、それが面白かった」(マグナム氏)

 出番は一瞬でも、お茶の間にしっかりツメ跡を残していった。

(つづく)

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