忘年会シーズンが到来した。コロナ禍の落ち着きとともに“飲みニケーション”と呼ばれる会社の付き合いもまた増えてきている。この飲み会でのふるまいについて、お笑いコンビの博多華丸・大吉が若い世代に苦言を呈した。
〈飲み会で“ビールの順番”を間違える人は出世しない?〉
当該の発言があったのは、11月14日放送のテレビ番組『家呑み華大』(BS朝日)。コンビで家飲みをする中で、50歳を過ぎた二人が飲み会での後輩の行動について愚痴をこぼしだす。
華丸は、日本のビールは冷えている間に飲んでこそだと前置きしたうえで、瓶に少し残ってぬるくなったビールを先輩のグラスについでくる後輩を一喝。「お前がそれを処分せぇ! 新しいやつを持ってこい。俺が先輩ばい。金払っとるばい!」と主張した。
すると今度は大吉が、一杯目として運ばれてくる生ビールジョッキを、最初に先輩に渡してしまう後輩に苦言。全員の分が揃うまでに泡が減ってぬるくなってしまうため、最後に来たビールを一番の先輩に渡すべきだと論じた。
それができていない後輩に対して「悪いけど、この子は出世しないなと思う。心の中で点数を入れております」「ほんとこれ、できてる子とできてない子の差が激しい」とこぼすのだった。
社会人の先輩として、後輩の気になる行動を注意した二人だったが、SNSではこれに対して批判的な声が飛び交っている。
瓶ビールの余りを先輩に入れることへの苦言はおおむね賛成派が多いが、生ビールを最後に先輩に渡すという行為には特に反論が多い。
〈偉い人から最初にするのが世間一般的です。ビールの泡なんかより順番の方が重要視されます〉
〈こんなこと言い出すから会社の飲み会とか嫌がられるんだよ〉
〈こういう発想の人間が出世する組織こそダメ組織なんだよ〉
〈余ったビールを注ぐのは論外だけど、先に置くのはどうでもいいだろ〉
〈うーむ。これはアラフィフのワシも老害と言ってしまいたい〉
しかし果たして、華丸・大吉の二人の意見は、本当に“老害”的と言っていいのだろうか。
社会人である以上、飲み会での立ち振る舞いをきちんと身に着けるべきだと指摘するのは、『政治家の酒癖』『人生で大切なことは泥酔に学んだ』などの著者、栗下直也氏だ。
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「無礼講」は無礼講じゃない? 気を付けたいマナー
「仕事の先輩との飲み会は社会人にとっては戦場のようなものです。戦場では、天候や地形、相手の軍勢や自軍の状況によって作戦は変わります。『めんどくせー』と思うかもしれませんが、そのときの環境で対応を変えるのは社会人の仕事そのものです」(栗下氏、以下同)
栗下氏は、やはり後輩芸人たちは、先輩の華丸・大吉の好みを把握するべきで、これによって出世ができるかできないのか決まるのも一理あるという。
今回、生ビールの順番などは人によって、どっちが正しいのか割れてしまうとネットの声でも指摘されているが、何が世間的に正しいかではなく、目の前にいる先輩が何をするのが正しいと思っているのかを、きちんと見極める必要があるのだろう。
「酒席での後輩のふるまいに対する考え方は人それぞれです。後輩の気遣いを嫌がる先輩もいますし、自分があれこれ気を利かす先輩もいます。これは場数を踏んで、わかるようになるしかありません。
歴史上の偉人でも、昭和を代表する政治家の田中角栄は大臣になってからでさえ、宴席でつねに自分から酒を注いで回ったことで有名です。主賓なのにお酌に動き回るので自席にいないのです。古くは鎌倉幕府を開いた源頼朝も自分は飲まずに相手に飲ませまくったことで知られています」
ただ、彼らはただ歓待したかったわけではないという。自らお酌して、気分よく飲ませることで、自分が知り得ない情報や相手の本音を引き出す狙いがあったのだ。
「さらにいうなら、会社の飲み会で『今日は無礼講だ』と言われたとしても、はしゃいではいけません。“無礼講”の言葉の起源は鎌倉時代末期の後醍醐天皇時代に求められます。寵臣たちが身分や地位に関係なく人を集め、男たちはざんばら髪で、僧侶は肌着姿となり、ドンチャン騒ぎに興じました。
ただ、実態は、宴会を隠れ蓑にした倒幕会議で、後醍醐天皇が家臣の忠誠をはかるために開いていたともいわれています。“無礼講”と言いながらハメを外せないのは日本のお家芸なのです」