白馬連峰に魅了され白馬へ移住
27歳からシェアハウスなどを点々として白馬で過ごし、30歳で白馬へ完全移住する。
「白馬に住んで、まずは信州登山案内人のガイド資格を取るために勉強しはじめました。ちょうどその頃ですね、東日本が起きたのは」
2011年の東日本大震災だ。実家が全壊したという知らせを受けて、すぐに白馬から福島へ飛んだ。幸い家族はみんな無事だった。実家の片付けをしながら、5月の試験に向けて勉強を続けた。荒川は妹ふたりを持つ長男。両親だけが暮らす実家の福島へ帰るべきなのか? それとも白馬でガイドを目指すべきか? ずっと心が揺れていた。
「ガイド資格の結果が出てから実家に帰るかどうか決めようと思っていました。落ちていたら、福島へ帰っていたかもしれない。受かったので、もうちょっとやってみよう、もうちょっとやってみようで、いまに至る(笑)。
まずは、山を知るために夏山のガイドを頑張りましたね。白馬のガイドは、ほとんど小屋泊まりの2泊3日の行程。家に帰ったら寝るだけで、ひたすら山を歩きました。夏山は夏山でもちろん大変です。拘束時間が長くて、動植物の名前を覚えたり、雨に降られて凍えたり」
時を同じくして、ガイド仲間である竹尾雄宇の会社『番亭』の立ち上げを手伝うことになり、そこで3年間BCガイドとしての実績を積む。そして、2013年、念願のスキーガイドステージⅡを取得する。
「ガイドなら誰もがそうだと思います。お客さん、ひとりひとりとコミュニケーションをとりながら、自分の判断で、狙った斜面を、思い描くラインへ、お客さんを連れて行きたい。だから、スキーガイドステージⅡをとってからは、ずっと独立のことを考えていました」
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35歳でガイドカンパニーを立ち上げる
独立は、ツアーをコントロールできる一方で、すべての責任を持つことでもある。だからこそ、万全の態勢で雪山へ入りたい。2016年の秋に『番亭』を退き、『GRANIX mountain guide』を立ち上げた。
「自分が思い描いていた理想のBCガイドは、少人数のツアーでした。お客さんが10人もいれば、まったく喋らないお客さんとかはいるわけで。10人滑らせて1本で終わるより、最大6人の少人数で2本、3本、いい雪を滑りたいっていう思いがありました。少人数であれば、ゲストケアも丁寧にできて、リスクマネージメントも十分にでき、行動も早い。稼ぎは少ないかもしれないけど、安全面に勝るものはありません」
少人数で! というガイド方針は、夏山にも反映されている。
「これまで旅行会社からの委託で登山ガイドもやっていましたが、お客さんを20人とか連れていくのでリスクマネージメントやゲストケアができませんでした。コロナを機に考え直して、旅行会社の仕事はやめました。白馬村が主催しているマイスターツアーっていうのがあって、これはガイド2名に対してお客さんは最大12名(最小5人)。これと『GRANIX mountain guide』のガイドのみにしています」
ガイド業のほか、登山道の整備や道標付け替え、大工の手伝いで白馬鑓温泉小屋の建て壊しなど、北アルプスの登山口ならではの山仕事を掛け持ちして、いまや白馬ローカルにどっぷり浸かっている。