アメカジシーンでは当然のごとく支持を集めている革ジャン。現在ではレザーブランドも群雄割拠の状態だが、アメカジ黎明期の’80年代末から’90年代半ばは、アメリカ製の《バンソン》一択だった。そこで「革ジャン青春物語」と題して、当時の渋谷での革ジャン事情を掘り下げてみる。そこで当時リアルタイムで渋谷の名店バックドロップのスタッフだった2人に語ってもらった。
渋カジといえば、群を抜いてバンソンが売れていたかな。
谷口満さん|1969年生まれ。1988年にバックドロップへ入社。1980年代後半から1990年代半ば頃まで一大ブームを巻き起こした“渋カジ”全盛期のファッションやカルチャーをリアルに体験。今回、当時の記憶を望月さんと共に紐解いてもらった。
望月忠宏さん|1971年生まれ。日本のアメカジシーンの創成期を担ったバックドロップに93年入社。“渋カジ” ブーム後半から、アメカジシーンに関わってきた人物。独立後、原宿にて「BUDDY」をオープンさせる。http://www.buddy71.com
──渋カジの名店バックドロップに在籍していたお二人にとって、その代表的なブランドであるバンソンってどんな存在でしたか?
谷口満さん(以下/谷)1980年代にはすでにバンソンをセレクトしていたんだよね。その当時はバンソン以外にもインディアンジュエリーとか、渋カジの軸となるアイテムをセレクトしていたかな。
望月忠宏さん(以下/望)スタジャンなどのチームオーダーも人気だったけど、やはり当時は革ジャンがものすごく売れていた時代。ショットやラングリッツレザーズ、オーチャードなんかも並行輸入していたけど、群を抜いてバンソンが売れていたかな。
谷/俺がバックドロップに入社したのが1988年だから、渋カジがブームになりかけていた頃。原宿にあった姉妹店のプロペラでもバンソンは人気だったね。
──当時からバックドロップはバンソンに別注していたのですか?
谷/当時のカタログにも掲載されているけど、バックドロップが別注した商品がそのまま定番化しちゃうことが多かったね。
望/バックドロップで仕入れた吊るしのバンソンでもよく売れてたんだよね。でも谷口さんが入社した頃は、バンソンの人気はそこまで高くはなかったんでしょ?
谷/渋カジが本格的に流行り出す前だったから、実はセールプライスで販売していた時期もあったね。今より物価も景気も悪くない時代だったし、ちょっと買いやすくもなっていて。そんな背景もあって、当時の渋谷に通う若者たちを中心に売れ始めて、渋谷のセンター街で着るのが一大ブームになっていった感じ。流行りが東京から全国へ広がっていったんだ。
望/やはり’80年代後半ぐらいから、徐々にバンソンが流行り始めたんだろうなと思う。当時の色々な雑誌にバンソンが掲載されているのも流行っている証拠だよね。だから谷口さんはめちゃ忙しかったと思うのよ。Tシャツのセール感覚みたいに革ジャンをバンバン売っていたんだろうなって。
──当時のバックドロップでは、バンソンって1日にどれぐらい売れていたんですか?
谷/入社した頃だと一日だけで5着〜10着ぐらいは売っていたかな。まだインターネットもオンラインショップなかったし、基本は接客販売だったからね。もし当時にインターネットやオンラインショップがあったら大変なことになってたんじゃないかな、全国から注文が殺到しちゃってさ。
望/お客さんは地方からも遥々お店にやってくるんだよね。当時アメカジショップといえば、やはりバックドロップだったからさ。
谷/渋谷に来る若者たちがバンソンを買い始めて、それが流行になって全国に広がっていったんだよね。バックドロップではブーツも売っていたからさ、人気はレッドウィングのエンジニアブーツだったり、トニーラマとかのウエスタンブーツ。バンソンのRJとかの革ジャンに合わせていたりした。
──バックドロップで人気だったバンソンってなんですか?
谷/最初はTJだね。TJはチームジャケットの略。これが最初飛ぶように売れたかな。このロゴパッチもね、最初は革にプリントした仕様だったんだけど、ブームの後半には刺繍パッチに変わるんだ。その後はRJかな、これはレーシングジャケットの略ね。あとは背中に大きくスターが入るモデル。
望/俺が入社した頃は、バイク映画や、トム・クルーズの主演映画に影響を受けて買う人が多かった記憶があるんだよね……、あれ何の映画だった?
谷/あったね、ボンジョビが主題歌の映画『デイズ・オブ・サンダー』のTCだよね。でも、すげぇ売れてるかっていうと、絶対売れてないと思う(笑)。
望/まぁなんにせよ(笑)、’80年代の終わりぐらいからアメカジが細分化されて、渋カジが生まれてくるじゃない。その時に流行ったモデルが、スタージャケットやTC、あとはRJだったんだよね。
谷/そうそう、RJね。C2というモデルも人気だったかな。
──C2はバックドロップの別注だったんですか?
谷/そう、着丈を2インチ短くしたんだよね。リーバイスのGジャンをモチーフにしたDJCBの革ジャンも、実はバックドロップの別注だったね。まぁ当時はあまり売れていなかったよ。あとPTCBもそうだし、DもBも別注だもんね。
──いっぱい商品名が出てきて、ややこしいんですけど(笑)。
谷/昔はバンソンもこっちの意向をよく聞いてくれて、かなり別注を作ってくれたんだよね。そしてそのままカタログに掲載されて定番モデル化するっていうね。あとバンソンのレザーパンツやレザーベストも売れていたな。
望/レザーベストはよく着てたもんね。ゴローズとかビンゴブラザーズなんかでコンチョを買って自分で付け替えていたな。
谷/今よりも安くバンソンの革ジャンを買えていたいい時代だった。平均価格で10万に届かないぐらい。スタージャケットで当時12万80
00円ぐらいだったかな。
──別注する際、どのようにオーダーしていたんですか?
谷/アメリカにもバックドロップの別会社が有ったし、英語ができる人がいたからオーダーの説明を英語に書き換えてくれて。あとは手描きのイラストを描いてバンソンにファックスを送ってた。
──ファックスでオーダーするって、なんか時代を感じますね。
望/だよね(笑)。
谷/昔バックドロップの先輩から聞いた話なんだけど、アーティストのキース・ヘリングがバンソンを買いにバックドロップへ来たんだって。キース・ヘリングの写真でRJと赤いC2を着ているカットもあるしね。その着ているモデルはバックドロップで買ったバンソンだって話らしいよ。
望/確かにキース・ヘリングがバンソンを着てる写真あるよね。
──当時はどんなスタイルが渋カジで人気だったんですか?
望/ジーンズだとリーバイスの517ブーツカットとか646フレアパンツが人気だったかな。
谷/その頃の渋カジはそうだよね。あとワンダーハウスとかで売っていたラグジャケットとか。バンソンのレザーパンツにエンジニアブーツを合わせてた。あとゴローズのフェザーは持ってたな。ビンゴブラザーズで買ったディアスキンのメディスンバッグとか。当時流行ってたよね。白いTシャツにバンソンのライダースを合わせて、首からゴローズを下げて、みたいな。
──渋谷でバンソンにまつわる話とか、思い出ってありますか?
谷/渋谷といえばセンター街。渋カジに身を包んだ若者が大勢いたんだよね。当時バックドロップに来る若者も、実はイケてるおしゃれな人たちだけだったしね。働いている店員さんたちはみんな年上で近寄りがたい雰囲気だったから、お店に入るのにちょっと緊張して躊躇う若者もいたみたい。
望/今じゃ考えられないよね。でも、それぐらい若者の間で渋カジが一世風靡したんだよね。激った若者がこぞってバンソンを買うんだから、それは日本全国で流行るよね。その当時はそれがカッコいいと思っていた。
谷/今みたいにSNSがあるわけじゃないし。バンソンが人気になったきっかけは、やっぱり若者たちの間で渋カジが流行ったというのが理由かな。それを雑誌が取り上げて、段々と日本全国に広がっていったんだろうね。
アメカジ界隈では王道の存在として認知されるバンソン。近年“Supreme”とのコラボで、幅広いシーンから再び注目を集める。そのアイコニックなSTAR JACKET[右/18万7000円]とB -BONE-[左/25万3000円]。(Backdrop https://thebackdrop.com)
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バンソンの革ジャンは、渋カジで一世風靡したんだよね。
’80年代当時にバックドロップが発行していたチームオーダーガイド。スタジャンなどのユニフォームの歴史解説や、バックドロップでのオーダー方法などが記載されている。巻末には当時のバックドロップ店舗が紹介されていた。
谷口さんが所有するバンソンのTシャツ。記憶が確かならば’97年頃のアイテム出そう。バンソンのオーナーであるマイケル・バン・デ・スリューセン氏が渋谷のバックドロップに訪れた際にサインをもらった思い出の一品だという。
’90年代に発行されたバンソンのカタログ。バックドロップ別注モデルが多数掲載されており、定番モデルになった物が多いと、谷口さんは語る。またオーナーのマイケル氏の肖像も掲載。
谷口さんがバンソンへ別注を掛けたワッチキャップ。当時バックドロップでは自由度の高い別注がバンソンへ可能だったという。今でも現役で愛用する逸品だ。
谷口さんが当時愛用していたバックドロップ別注PTCB。ハギの無い一枚革で作られた贅沢かつ重厚な逸品。当時はエンジニアブーツに合わせていた。
バンソンの革ジャンには1着ごとにシリアルNo.が刻印された革タグが付属。それに谷口さん自身がスタッズを打ち込み、キーホルダーにカスタムしている。
’90年代後半にバックドロップがバンソンに別注を掛けたトートバッグ。迷彩パターンは珍しい。他にもカラフルな色を展開していた。望月さん私物。
バックドロップ別注のバンソン襟付きシングルライダースである9D。望月さん愛用の一品で、購入から二十年数年が経過した革ジャンだが、メンテ無しでもオイルが存分に染み込んだ重厚な革質は今だしっかりとしている。
バンソンが創業して間もない頃の1970年代当時に作られたシングルライダース。通称白タグと呼ばれる旧いネームタグがついている。バックドロップで働いていた頃に古着店で購入したそう。望月さん私物。
激しくフェードした表情が抜群にカッコいいバンソンのTシャツ。’90年代末に作られたアイテムで、当時はバンソンのブランドタグは無く、ボディはヘインズのビーフィーTであった。谷口さん私物。
数年ぶりに再会し、当時のバックドロップや渋カジ、バンソンなどの思い出を語り合ってくれた。
(出典/「Lightning 2024年12月号 Vol.368」)