本来「主人公」とは物語の中心人物であり、誰よりも存在感を放っているものです。しかしマンガやアニメの世界ではごくまれに、主人公が誰だか分からなくなる不思議な現象が起こります。物語が進んでから、ふと「主人公って誰だ?」と疑問に感じた経験はないでしょうか。



主人公の肩書きが消えてしまったゴン。画像は『HUNTER×HUNTER 選挙編 DVD&Blu-ray BOX』(バップ) (C)POT(冨樫義博)1998年-2011年 (C)VAP・日本テレビ・マッドハウス

【画像】え…っ? 「いちばん奥におるやん」「顔隠すな!」 こちらが表紙で散々な扱いを受ける主人公です(4枚)

いつの間にか「主人公」の肩書き消失!

『ONE PIECE』の「ルフィ」や『名探偵コナン』の「コナン」、『クレヨンしんちゃん』の「しんのすけ」など、いつだって物語の中心には「主人公」がいるものです。ただストーリーが進むにつれて、主人公が誰だか分からなくなるという、特殊な性質を持った作品も数多く存在します。

 例えば『HUNTER×HUNTER』の主人公といえば「ゴン=フリークス」ですが、「暗黒大陸編」に突入して以降、長らく出番がありません。最後に登場したのは2014年掲載の345話で、ゴンは念願の対面を果たした父「ジン」に諭され、故郷である「くじら島」に帰省して勉学に励んでいました。つまり向こう10年、主人公不在のまま物語が進んでいる状態なのです。

 そうした背景もあってのことなのか、2016年発売の単行本33巻で、ついにゴンのキャラクター紹介から「この物語の主人公。」の文字が消えていました。冨樫義博先生の意図するところは不明ですが、もしかすると最大の目的だったジンとの対面を達成したことで、ゴンの物語はひと区切りついたのかもしれません。

 七森中学校の「ごらく部」を舞台に、女の子たちの日常をゆるく描いた『ゆるゆり』もある意味、主人公が誰だかよく分からない作品です。「ごらく部」のメンバーには、底抜けに明るいボケ担当の「歳納京子」、ぶりっ子で百合気質な「吉川ちなつ」、そんなふたりに的確なツッコミを入れる「船見結衣」など、個性豊かな面々が集まっています。そのなかでただひとり、主人公の「赤座あかり」だけは良くも悪くも普通な女の子でした。

 2011年に放送されたアニメ第1期では、開幕こそ「アッカリ~ン」の掛け声で呼び込まれるなど主人公感を出していましたが、すぐさま3人の個性によってかき消されてしまいます。その存在感の薄さは、作中人物からも「あかり影薄くない?」「最初は学園ものアニメの主人公みたいだったのに、ちなつちゃんの入部以来、急に存在感がなくなった」などと指摘されるほどです。

 アニメ公式サイトの相関図においても、あかりだけ蚊帳の外、単行本の表紙を飾っても帯で隠れてしまうなど、どこまでも不憫な扱いを受けています。まるで主人公扱いされず、ほかのキャラにポジションを食われ気味のあかりですが、そうした彼女の(薄い)存在感も物語のひとつの魅力なのです。

 主人公なのに「出番がない」、主人公なのに「影が薄い」……とはまた違ったベクトルで言うと、鬼頭莫宏先生原作の『ぼくらの』も明確な主人公が存在しない作品でした。

 同作は15人の少年少女が自らの命と引き換えに、地球の命運を賭けた戦いに身を投じていく物語です。彼らが戦いの際に操作する巨大ロボット「ジアース」は、パイロットの命を動力源としているため、戦闘のたびにメインキャラの誰かが死ぬことになります。

 はじめは、みんなのムードメーカー的存在である「和久隆(ワク)」があたかも主人公かのように物語が進行していくのですが、彼は何も知らないまま率先して「ジアース」に乗り込み、戦いの直後に死んでしまいました。

 なお戦闘に負ければ地球は滅亡してしまうため、彼らに残された道は、戦って死ぬか、戦わずして死ぬかのどちらかしかありません。そうした極限状態のなかで何を思い、何を為すのか……。パイロットひとりひとりにスポットを当て、濃密なヒューマンドラマを描いた『ぼくらの』は、いわば15人でひとりの主人公といっても過言ではないでしょう。