インタラクティブなゲーム体験は、作中の出来事を臨場感たっぷりに感じられます。そのため、予想外のストーリーが心に刻まれることも多く、忘れられない作品となることもしばしば。そのなかでも、衝撃的な展開で話題となった3作品に迫ります。
「ゼルダの伝説」シリーズでも、まさかの展開が……! 画像は3DS向けバーチャルコンソール版『ゼルダの伝説 夢をみる島DX』 (C)1993-2011 Nintendo
【画像】主人公だったのにラスボス化…こちらが衝撃鬱ゲーの主人公です(6枚)
主人公は世界を救う、それが当たり前だと思っていたのに…
ゲームによっては物語性が高い作品もあり、意外な展開で驚かされることもしばしばあります。なかにはプレイヤーの想像を超え、予想もしなかった物語で驚きを与えた作品も存在します。
衝撃的過ぎてショックを受けたり、愕然とした作品は、驚愕とともに記憶に刻まれ、機会があるたびに語られ続けてきました。人によっては、気分が落ち込んでもおかしくないほど影響力を与えたのは、どんな作品だったのでしょうか。
※以下、『ゼルダの伝説 夢をみる島』『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』『ライブ・ア・ライブ』のネタバレを含みます。ご了承のうえ閲覧ください。
『ゼルダの伝説 夢をみる島』
国内外を問わず高い人気を誇る「ゼルダの伝説」シリーズのなかにも、衝撃的な展開でプレイヤーの度肝を抜いた作品がありました。それは、1993年に発売されたゲームボーイソフト『ゼルダの伝説 夢をみる島』です。
航海中に遭難した主人公「リンク」が辿(たど)り着いたのは、「コホリント」と呼ばれる見知らぬ島でした。リンクを助けてくれた「マリン」や住人と関わるなかで、この島は一度入ると出られないと知り、島からの脱出を目指すリンクの冒険が始まります。
コホリント島の秘密を探るうちに、島の神である「かぜのさかな」の存在を知ります。なんとこの島は、「かぜのさかな」が見ている夢に過ぎなかった……という衝撃的な事実が突きつけられます。
夢ならば覚めればいいだけ。その理屈は間違っていません、ただしリンクに限っては。マリンをはじめ、この島に暮らす人びとは夢の産物に過ぎず、「かぜのさかな」が目覚めた時、夢の全てはアワとなって消えてしまいます。
「ゼルダの伝説」シリーズを遊んだプレイヤーたちは、さまざまなシリーズ作で世界を救ってきました。しかし『ゼルダの伝説 夢をみる島』では、リンクの行動は島を無に帰す……いわば「世界を滅ぼす」結果となったのです。
誰が悪いわけでもない、しかしビターな結末に、当時のプレイヤーは心を揺さぶられました。そして改めて『ゼルダの伝説 夢をみる島』というタイトルを振り返ると、秀逸なネーミングだったのだと思い知らされます。
「主人公」の意味を考えさせられる『ライブ・ア・ライブ』 (C)1994 SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.
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主人公が向き合う過酷な現実が、プレイヤーも驚愕させる
『ニーア ゲシュタルト/レプリカント』
2010年にリリースされた『ニーアレプリカント/ゲシュタルト』も、衝撃的な結末でプレイヤーを愕然とさせた一作です。
一見するとファンタジーらしき世界観で、生活は厳しくマモノによる害も多いものの、人びとはそれなりに安全な暮らしを営んでいました。本作の主人公──便宜的に「ニーア」と呼びます──は、Xbox 360版では父親、PlayStation 3版では少年で、病弱な娘もしくは妹の「ヨナ」を支えながら、ささやかに生きてきました。
しかしゲームを進めると、マモノを統べる「魔王」と呼ばれる存在にヨナがさらわれ、行方知れずとなってしまいます。何年もかけてヨナの行方を調べ、魔王の元へとたどり着くニーアでしたが、同時にこの世界の謎も明らかになりました
実は、かつて文明を築いていた人類が存在し、彼らは「白塩化症候群」と呼ばれる病で滅亡の危機にありました。その対処として人類は肉体と魂を分離させ、魂はマモノとなり、肉体はかりそめの「人間もどき」に任せました。病の脅威が去り、再び融合する日を待つために。
プレイヤーが操作していたニーアも含め、この世界に生きる人びとは「人類の偽物」でしかありませんでした。元々の人類にとって、ニーアたちの身体は「自分たちのもの」。返してもらうのが当然と考えても、さほどおかしな話ではないでしょう。
しかしニーアからすれば、命を奪うのも同然の行為です。当然、両者の意志がかみ合うことはなく、戦いで決着をつけるほかありません。ニーアたちを助けるために、元の人類を滅ぼす──そんな決着を、プレイヤー自身の手で行う。その最終戦の重みは、筆舌に尽くしがたいものでした。
『ライブ・ア・ライブ』
1994年登場の『ライブ・ア・ライブ』も、その意外な展開が長く語り続けられている作品です。本作は、複数の主人公によるそれぞれの物語を描く群像劇として始まり、最終編では全て主人公が集い、ラスボスとの戦いに臨みます。
そのひとり「オルステッド」は中世編の主人公で、彼が辿(たど)った物語は物悲しいものでした。愛を求めて戦いに臨み、しかし友には妬まれたあげくに彼を失い、苦難の道を乗り越えて助けた姫には「負ける者の悲しみなどわからないのよッ!!」と罵倒されるなど、予想外かつ苦しみに満ちた道のりだったのです。
勇者の如き輝かしい活躍をしながらも、倒すべき魔王はどこにもおらず、ただ感情に翻弄された人間ばかりがいて、最終的に報われることはなにひとつなかった。そんな苦難の道のりは、オルステッドの精神に大きな影響を与えます。
そして、全ての主人公が結集した最終編では、オルステッドは「魔王」となり、本作のラスボスとして登場したのです。彼も主人公のひとりなので、最終編に登場するのも至極当然です。しかし、最終決戦はまさかの「主人公たちvs元主人公」という、皮肉で物悲しい構図でした。
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実は主人公が、夢を終わらせ、かつての人類を滅ぼし、ラスボスと化す。こうした作品があるのも、ゲームという遊びの幅広さゆえといえるでしょう。あなたは、どんな作品で衝撃を味わいましたか?