吉永小百合(C)週刊実話Web

“大女優”吉永小百合さんの夫で、元共同テレビ会長の岡田太郎さん(享年94)が9月に胆のうがんで逝去。結婚をめぐり吉永さん夫婦と吉永さんの父親との間に確執があったことが一部メディアで報じられたが、当時本誌はさらなる詳細を伝えていた。

【昭和56年12月24・31日号掲載『芸能界父娘戦争天国と地獄』(2)年齢・肩書等は当時のまま(一部割愛や表現を訂正した箇所があります)】

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父親との“愛”で、まさに地獄という以外にない代表は、吉永小百合だ。

小百合に対する父親の愛情が爆発したのは、まさかと思う相手を小百合が結婚相手に選んだことに起因する。フジテレビの岡田太郎チーフ・プロデューサーで、現役に復帰してまだそれほど間がない。

かつては『メロドラマの太郎ちゃん』といわれたほど活躍した。やがて閑職に追いやられる。その期間が長かった。小百合と結婚してずっとといってもいいくらいだ。

なぜ閑職に? 一言でいってしまえば、そこに“父娘の確執”があった。小百合の婚約発表は、父親にとって文字どおり寝耳に水だった。

父親は、小百合の嫁ぎ先としてエリート官僚を望んでいた。大蔵次官から自民党代議士になった相手を選んだ司葉子のケースを理想としていた。司は鳥取県の旧家の娘であり、女優になる前は大阪MBSの社長秘書だった。

しかし、小百合の父親にすれば、旧家ではないが東大出の元大蔵官僚の娘であり、早大夜間で勉強させ、サユリストといった流行語を生み出すほどインテリ層に圧倒的に支持されるスターだから、けっして高のぞみではないとの自覚があった。

事実、それを満足させる見合いの話も数多く寄せられていた。が、小百合はそのいずれとも会うこともなく、一方的にことごとく断わってしまった。

雪どけムードも漂い始めたが…

「仕事がおもしろい状態のためなんだろう。そうあせることはないよ」

当時、父親は妻君にこう話している。せっかくの大蔵官僚を投げ出してスタジオパパに“変身”し、小百合についてテレビ・スタジオなどをのぞいて歩いた場合も、かなり長かっただけに、自分の判断に狂いはないと自信があったことはいなめない。

しかし、そのころは運転手を付け人に仕立て、自分は小百合の稼ぎを元手に手を広げた不動産業務に専念していた。その虚を衝き小百合をモノにしてしまったのが岡田であったといえるが、父親は「あくまでもだまされたのだ」と、都内の主な興信所を総動員し、岡田の身辺を洗わせた。

しかし、ふたりは結婚する。小百合の父親が、都内の主な興信所を動員したことなどが明らかになったため、逆にいこじになったとみれなくもなかった。

岡田が閑職に追いやられたのは、結婚してしばらくしてだった。明らかに興信所からの調査事実が、その“決定打”となっていた。が、岡田は小百合にグチらなかった。こういったにすぎない。

「御用済みの証拠なんじゃないかな。もう年で、スタジオのなかを走り回すのは気の毒とみてくれてのことなのかもしれないね。それとも、アルバイトで大いに稼いでくれということなのかな。一生のうちのことなんだから、こういう閑職も経験していて損はないだろうね。おかげで、いままでおろそかにしていた読書にもかなりの時間を振り向けられそうだよ」

小百合には、噂の人物がかなりいた。つまり、父親に反対され、恋人候補をつぎつぎとつぶされてきたのだ。

小百合と岡田の共通点は、見かけと異なり、ブライドを支えにして誰に頼らずも生きていけるといった自信かもしれない。

だから父親に相変わらず頭を下げないのだ。反対に小百合と親しい知人からの情報だと、このところ母親がふたりをたずねてくるようになったらしい。雪どけのムードも漂い始めているのだが…。