2019年にテレビ東京に入社して以来、報道とバラエティの両輪で活躍を続ける人気アナウンサー・田中瞳(28)。先日結婚を公表し話題となったが、11月20日に自身初となるフォト&エッセイ『瞳のまにまに』(講談社)が発売となる。今では同局の看板アナウンサーとして成長した田中アナだが、入社直後は「アナウンス部に馴染めない時期があった」と当時を振り返る。エッセイ執筆の裏側と合わせて、入社後6年間の道のりを聞いた。(前後編の後編)
「今やるべきことだったのかもしれません」
――初のフォト&エッセイ『瞳のまにまに』の発売、おめでとうございます。まずは、今の率直な気持ちをお聞かせください。
田中瞳(以下、同) ありがとうございます。これまで公の場で発信することがなかったので、エッセイというぎゅっと凝縮した形で自分の考えが世に送り出されるのは、若干恐ろしさがありますね。
もちろん楽しみなのですが、一方でどんなふうに受け取られるのかちょっとだけ怖いな、と……。
そもそも私はテレビ局のアナウンサーで、会社員なので、「こんなにパーソナルなことを書いていいのかな?」とも思うんです。
もちろん、会社員だって自分を発信していいとは思うのですが、私はまったく曝け出してこなかったので、「『何を語っているんだ』と思われちゃうかな」「ちょっと恥ずかしいな」という気持ちもありますね。
ただ、さまざまな情報源があるなかで、このエッセイでは“本当の自分”のことだけを綴っています。
そういう意味では、今の自分にとってやるべきことだったのかもしれない、とも感じています。
――ご自身の言葉で文章を綴ってみて、いかがでしたか?
すごく楽しかったです! 普段の仕事で文章を書くことが、実はあまりなくて。基本的には原稿を読むことのほうが多いので、自分の考えを文字にしていくという体験自体が新鮮でした。
でも出来上がった文章を見て、「暗い人って思われないかな~」と思ったり……。そう捉えていただいても大丈夫なのですが(笑)。
――これまで日記を書き溜めるなどのご経験は?
いえ、日記は本当、三日坊主を何回繰り返したことか(笑)。3ページしか埋まっていない可愛いノートが、家にいっぱい眠っていますね。
――執筆中、何かご苦労されたことはありましたか?
書き終えた文章でも、次の日に見ると、「なんかちょっと違うな」と感じることも多くて。
執筆自体が慣れない作業だったので、書いては最初から読み返して、と続けていたら、けっこう時間が掛かってしまいました。関係者の皆さんには、ご迷惑をおかけしたと思います。
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青春を過ごした学生時代。「高校入学後、少々奔放に……」
――田中さんは幼少期、どんな子どもだったのでしょう?
あまり泣かず、おとなしい子どもだったみたいです。
成長してから親に聞いてみたところ、先生が日誌に「お友だちと戯れずに、1人で窓の外を見ていて、ちょっとだけ心配です」と書いていたようで(笑)。群れの中に入っていくのは、今でも得意ではないのですが。
――学生時代も、おとなしいタイプだったんでしょうか?
中学生のときは、クラスの学級委員を担当しましたね。ただ、それもちょっと不純な動機で、小学校のときからずっと好きだった男の子がやると言ったから、私も手を上げただけなんです(笑)。
あと吹奏楽部に入部して音楽に打ち込んだりしましたが、基本的には静かで真面目な生徒だったと思います。ただ、高校に入学してから、少々奔放に…。
――素行が悪かったとか……?
いえいえ、全然そんなことはなくて! 私が通っていた高校は、そこまで校則が厳しいほうではなかったんです。
だから、思い切ってスカートを短く履いてみるとか、そういうことで1枚ずつ殻を破ろうとしていましたね。ただ根が真面目だから全然破りきれない、みたいな(笑)。
でも、いま高校時代を振り返ると、本当に青春映画のような日々を過ごしていたなぁと思います。
――エッセイでは、当時のエピソードとして「誰がどれだけ面白いことするか競い合っていた」と書かれていましたね。
高校時代は、私を含めた女子4人組でよく遊んでいたんですが、普段からまともな会話をしていなかった気がします。
誰かがふざけたら、別の子がそれを超えようとさらにふざける、みたいな。だから休み時間とか、もうずっと笑って過ごしていましたね。
――その経験が、今のお仕事にも活かされていそうですね。
そうですね。最初は意識していなかったのですが、たとえば「モヤモヤさまぁ~ず2」(以下、モヤさま)を担当する中で、本当にいろいろな方面から「なんで躊躇がないの?」と言われることが多くて。
改めて理由を考えてみると、やっぱり高校時代に友人たちと過ごした毎日が源泉になっているのかな、と。
中学生のときの私のままだったら、たぶん今みたいには自分を表現できていないと思います。