紅白復活なるか 視聴率の歴史から見る課題とは

 日本の大晦日の風物詩といえば「NHK紅白歌合戦」。1951年に始まり、今年で75回目を迎えます。近年は視聴率の低下が叫ばれ、「大晦日は家族でこたつで紅白」はもはや多数派ではないと言われることもありますが、一方で趣味やライフスタイルが多様化した現代ではこれが自然な状態という見方もあります。

 今回は、紅白の歴代視聴率がどのように変遷してきたかを振り返りつつ、当時の人気歌手や時代背景について歴史をひもといていきましょう。

※本記事では特記しない限り、「視聴率」とはビデオリサーチ調べによる関東地区の世帯視聴率を参照しています。2部制となった1989年以降は、視聴率が高く出る傾向のある第2部(番組後半)のものを採用しています。

視聴率「80%超え」もあった60〜70年代

 紅白歌合戦が歴代最高の視聴率を記録したのは「1963年」(昭和38年)で81.4%です。出演したのは吉永小百合さんや美空ひばりさん、坂本九さんや北島三郎さんなどです。北島三郎さんはこの年が初出場でした。

 第2位が「1972年」(昭和47年)です。欧陽菲菲さんや和田アキ子さん、沢田研二さんや野口五郎さんなどが出場し、視聴率は80.6%を記録します。

 その後も70年代はおおむね70%~80%の高い水準を維持。国民の大多数が「大晦日は紅白」という時代が続きます。しかし、80年代に差し掛かると50%~60%台に下がっていきます。

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「単独過半数」ではなくなった平成元年

 ついに紅白が「単独過半数割れ」となったのが1989年でした。荻野目洋子さんや聖飢魔IIなどが出場した平成最初の紅白では、視聴率が初の50%割れとなります。

 翌年以降は持ち直し、50%を上回る年が続きましたが、2000年には再度50%を割りこみます。ちなみにこの年はaikoさんやポルノグラフィティ、平井堅さんなどが初出場となりました。

 それ以降は50%を超えた年はありません。節目の年に「単独過半数」から転落することになった平成時代でした。