「親の介護費用を親の金で支払うことで相続税を減らせ」森永卓郎が後世に伝える渾身の「死に支度」ドキュメント

2023年末に投与した抗がん剤が合わず、死の淵を彷徨った森永卓郎氏。ようやく回復にさしかかったときに真っ先に思ったことが「資産整理をしなければいけない」だったという。それほどまでに資産整理というものは日頃から行き届いておらず、やることが山積みな作業だ。

書籍『身辺整理』より一部を抜粋・再構成し、知っておきたい資産整理の基礎知識を紹介する。

父の死後に経験した相続地獄

私は昨年末に投与した抗がん剤が体にあわず、死の淵をさまよった。一命をとりとめ、体調もある程度回復した段階で思い浮かんだのは「資産整理をしなければいけない」ということだった。

資産整理については余命宣告を受ければもちろんのこと、年を重ねていく中で多くの人がたどりつく終活だと思うが、私がことさらに急がなくてはいけないと考えたのには事情があった。

亡き父の資産整理を経験していたからだ。

死後の資産整理がどれほど大変な作業であるかは、やったことのある人でなければわからないだろう。ここではまず、私が体験した相続地獄の全貌を伝えることから始めたい。

父は2006年に脳出血で倒れて半身不随になった。

その後、自宅介護を経て施設に入所し、2年後の2011年に84歳で他界した。相続の手続きをしながら私は「この地獄のような日々は、あの時すでに始まっていたのだ」と思い起こしていた。

あの時とは2000年に母が他界した時のことだ。

母はピンピンコロリで旅立った。

3日前に両親がそろって私の自宅を訪ねてきて、みんなで一緒に食事をしたばかりだった。

だから父から母が総合病院へ運ばれたと連絡を受けた時は耳を疑ったが、私が職場から急いで駆けつけた時、母の息はすでになかった。

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「自分もいつ死ぬかわからない」

医師が下した死因は「糖尿病薬による低血糖に伴う心不全」。母は糖尿病を患っていて、血糖値を下げるための薬を服用していた。

父の話によると、私の家を訪ねてきた翌日に親戚の法事に出席した際、風邪で体調を崩し、食欲がないと言い出した。

問題は食事を断っても糖尿病の治療薬だけは飲み続けていたことだ。

食べずに薬を飲み続けていたことで急激に血糖値が下がって心停止に至ったのだろうというのが医師の見立てだった。

思えば母は生涯に一度も大病院にかかったことのない人だった。

糖尿病に関しても近所の診療所で診断を受け、薬を処方してもらっていたのだ。

死の直前、食べるものも食べずにぐったりとしている母に、父が「病院へ行こう」と勧めた時も「動きたくない」と拒絶し、「救急車を呼ぼう」と提案すると「それだけはやめて」と懇願したという。

この話を聞いて思い出したのは、生前に母が「自分の介護で家族に迷惑をかけたくない」と言っていたことだった。

母は祖母の介護問題を巡って姉妹で深刻な諍いを起こした経験があったため、自分はピンピンコロリで逝きたいと切望していたのだ。

果たしてその通りになったが、私には母が自分の死を予感していたのではないかという気がしてならない。

死の3日前に我が家で食事をした時、母は「明日は三回忌に出席するんだけど、七回忌には私は生きていないから、これが最後なの」と意味深なことを言っていた。死の前日には父に「私の葬儀にお金がかかるから銀行でおろしておいたほうがいいわよ」と言っていたという。

その時、父は一笑に付したというのだが、人はいつ死ぬかわからない。実際、3日前までピンシャンしていた母があっさりと逝ってしまったのだ。

私は父の資産整理をしながら、あの時父が「自分もいつ死ぬかわからない」と危機感を抱いてくれていたら、そして自分で資産整理をしてくれていたらと感じていた。