金属バット、M-1勝負年だった35歳のリアル「アホみたいに忙しくて、休みは年10日くらい」超多忙な日々から一転、酒と勝負する生活に…

今年も年末の風物詩「M-1グランプリ」の季節がやってきた。毎年この時期になると、ラストイヤーコンビの敗退や今年のファイナリストを占う話題が世間をにぎわせる。
その裏で、もう出場することのないコンビや過去の大会が話題になることもしばしば。漫才コンビ「金属バット」もその1組。準決勝まで勝ち進んではM-1決勝の壁にはね返されてきた30代半ば頃を二人が振り返る。

「35歳いうたら……コロナ禍のときですわ。もう酒ばっか飲んでましたわ、あの頃」

金属バット・友保隼平(以下、友保)は当時を思い出して苦笑いする。

金属バットの二人にとって、2020年は勝負の年だった。2018年からラストイヤーとなる2022年まで5年連続でM-1グランプリ準決勝進出。35歳の2020年は敗者復活戦第7位という結果に終わっている。

「あの年はコロナ禍で、『M-1はやんのかい!』って文句言ったのおぼえてるな」(小林圭輔、以下小林)

「(コロナ禍の)あの頃、急に休みなったんで、よかったっすけどね。なんかコロナちゅうのがね、始まるみたいな、横浜のあたりでコロナの船がおるみたいな。わし、あれはインフルエンザや思って、コロナはちょっと強めのインフルや思たら、ガチのやつやったね」(友保)

M-1グランプリなど賞レースでの活躍で知名度が上がり、2019年にはバイトもせずに芸人の仕事1本で食っていけるようになった。月に1回休みがあるかないかの多忙な日々の中で、突然訪れた「空白の期間」に不安はなかったのだろうか。

「俺らあの頃なんかアホみたいに忙しくて、 マジ年に10日くらいしか休んでへんのちゃうかってくらい。ほとんど東京行かなあかんくてな」(友保)

「ずっと無限大(ヨシモト∞ホール)におった気がする」(小林)

「なんかもう働きたないなって思ってるときに無限大行ったら、喫煙所でオズワルドの伊藤(俊介)とマヂラブの村上さんが『おまえ聞いたか』って。『何すか』言うたら『明後日から全部休みになるらしい』と。
『いやいやいや、ちょっと待ってください。それほんまやったらうれしすぎますよ』言うてたら、社員からこの日で劇場閉まります言われて、ガッツポーズしたもんね」(友保)

「芸人内で言われたことは限界まで信用はできんので、『ないないない、期待はせんとく』みたいな感じやったもんな」(小林)

いくら多忙を極める最中とはいえ、仕事がなくなるということへの不安はなかったのだろうか。

「コロナ禍前、ルミネ(ルミネtheよしもと)で最後にやったんが、マヂラブさんと俺らと虹の黄昏さんのライブ(2020年3月1日公演「同じ匂い」)。トリは虹の黄昏さんやったな。 他事務所の大暴れ芸人(笑)。マジで幸せやった」(友保)

「不安はなかったですね。あの頃ほんま忙しかったんで」(小林)

「ええ、最悪でしたから、マジでラッキー」(友保)

コロナ禍で買ったいらんもの

不安はまったくなかった。

35歳で訪れた長い休暇を二人は思い思いに過ごしていた。

「とにかくヒマやからもうワープする感じで時間飛ばしてましたわ。 メシも食わんもんやからガンガン痩せて。うん、 最高でしたね。夕方に起きて、朝まで酒飲んで、眠って。で、夕方また起きて、酒飲んで寝る。
4リットルの業務用ウィスキー買ってね。俺とコロナどっちがくたばるかの勝負や、勝負したろと思ったら1か月経ったぐらいで(ウィスキーが)空になった」(友保)

「何してたかな。ほんま外出れんくて、それこそずっと飲んでましたよ。飲んで映画見て、その頃にサブスク入ったんすよ」(小林)

ひたすら飲んで飲んで、飲まれて飲んでという日々の中で、金属バットらしからぬ習慣を始めていた。

「小林、筋トレしてなかった?」(友保)

「筋トレは…してたっけな」(小林)

「わし、めっちゃ筋トレしてて、酒飲んで筋トレして、もうキャンキャンでしたわ」(友保)

筋トレの効果はさておき、30代半ば頃の友保といえば、こけた頬、目の奥にひそむギラつき、ジャックナイフのごとく研ぎ澄まされた佇まいがあった。

「コロナ禍の仕事で、『どうやってコロナを乗り切るか』メッセージと写真1枚くださいって言われて、で、『わし死んだら、ジャンパーあげますんで吉本に言ってください』みたいなメッセージと自撮り送ったんです。

それがTwitter(現在はX)で回り回って俺んとこに『人を不安にする顔の写真を送らないでください』って苦情きましたからね」(友保)

メシも食わずに酒を飲み続け、所在なく日々を過ごす中で、あり余る時間は二人に思いもよらない物欲を加速させた。

「めっちゃいらんもん買いましたね。 酔っ払って、下駄とかナイフとか。俺、田舎の土地も買おうとしてましたね。1番安いのが山口県にあった駅から徒歩86分。

これ、旅行じゃないの。だけど、井戸2個付き。なんかその頃、夢で……穴掘る夢みたんですよ。異常にその掘ってる俺が楽しそうやったんで、土地でも買うて穴掘ろうかな思ったんすよね」(友保)

「たしかその頃やったかな。僕は高級枕買ったんです。枕さえよければすべて体調がよくなるみたいな洗脳を受けて。4万円ぐらいの枕。いつでも買ったところに持って行ったら中身詰め替えてくれるみたいな。あれからもう4年くらい経ってますよね? 1回も詰め替えてない。枕持って梅田まで行ってられへんやろ」(小林)

「枕変えてよくなったん?」(友保)

「いや、それまでの枕が終わってたんで。コピー用紙ぐらいペタペタやったから」(小林)

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芸人の35歳は若手か中堅か

夢占いでは、穴を掘る夢は「強い不安を抱えている」ことを意味するという説もある。

未曾有の疫病を前にして「この先どうなるんやろ」という不安感、一方で休みなく働く中で「これで休める」という安堵感。アンビバレントな感情を抱く日々の中で、世間も少しずつコロナに対応を始める。

たとえ、不謹慎と言われようが、不要不急と言われようが、当時の社会はたしかに「お笑い」を求めていた。そして、お笑いライブの配信というテクノロジーが二人の長い夏休みに終止符を打った。

「しばらくしてから無観客で配信やるって言い出して。お客さんおらんのにアクリル板置いて。とにかく恥ずかしかった。みんな『芸人がネタを配信するなんて』って言ってたけど、その月の(給与)明細見て黙ったよな」(小林)

「配信バブルな。レイザーラモンさんがステージでプロレス始めたの覚えてるわ。やりたいことある人は好き勝手できた」(友保)

「もう中(学生)さんは途中で心折れて帰ってきてたけどな」(小林)

金属バットの二人も、コロナ禍を乗り越えて走り出した。

会えない時間は二人に特別な絆を与えたに違いない。

「なんか来週からコロナ明けるみたいなん聞いて、で、久々に小林と会うて。ずっと会ってなかったから、ほんまに何か月かぶりにネタでも合わせるかって集まったんすよ。
でも、それまでお互いずっと座ってたから立ってられへんかった。ヘロヘロやったな。二人でちょっと立って喋って、すぐ座るみたいな」(友保)

「筋トレの効果なかったな」(小林)

「筋トレはすぐやめたから」(友保)

一方で、2020年は悲しい別れの報せもあった。苦楽を共にした同期芸人のてんしとあくま・川口敦典さんが持病の内臓疾患で急死する。36歳の若すぎる別れだった。

「当時、ビルディング(川口さん)が死んだってメールが来て。お別れ会みたいな、お通夜をするみたいな。で、ほんまは集まらないでくださいやけど、偶然みんな来ちゃってね。
後輩のしげみうどんも仲よかったから、ちょっと顔見に行こうぜって。で、わしマスク持ってなくて、どうしようってコンビニ行ったら、ホットアイマスクだけ売ってて。それ口に貼っといたらいけるやろって。口ほっかほかでヘラヘラして行ったの憶えてる」(友保)

「マジで熱々になるからなあ」(小林)

「でも、いざビルディングのご遺体見たら、ワンワン泣いてもうてね。口ほっかほかのオッサンが号泣してるっていう」(友保)

少しずつ亡くなっていく友達もいる、会えなくなる友達もいる。
それが金属バットにとって35歳のリアルだった。最後に二人に聞いた。

芸人の35歳は若手なのか、それとも中堅なのか。

「何言ってんすか、若手ですよ。売れるまでは全員若手、僕らなんて大阪吉本きっての売り出し中の若手です」(友保)

「若手の飲みっぷりでしょ」(小林)

「すいません、ビール4つください」(友保)

自らを「若手」と言い張る金属バット。たくさんの芸人仲間が辞めていった中で、40歳を目前にした今も彼らは漫才を続けている。

辞めていった奴らの分も、死んでいった奴らの分も金属バットは背負っている。

彼らがなかなか見せないその心の奥底を覗くために、この日の取材は8時間に及んだ。

取材・文/西澤千央

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金属バット●NSC大阪校29期生の小林圭輔(1986年3月6日)と友保隼平(1985年8月11日)によるお笑いコンビ。2006年4月に結成。唯一無二の漫才スタイルで「M-1グランプリ2018」の準決勝に進出したことで注目を集める。
M-1グランプリ2022では、敗者復活戦の視聴者投票で約37万票を獲得するも、2位で惜しくも決勝進出ならず。2023年、2024年の2年連続で「THE SECOND~漫才トーナメント~」のグランプリファイナルに進出した。