ポップなメロディと等身大の言葉を激しいギターサウンドでかき鳴らすロックバンド、ニーネ。98年の結成以来、ライブ活動とCDリリースを続け、主に中央線沿線のロックシーンで熱く支持されています。そのニーネでボーカル&ギターを務めているのが大塚久生さん。彼のアーティスト活動の根本にはビートルズがあり、その影響は今でも継続中とのこと。2年前にはソロ名義で「缶ペンケース」というビートルズ愛を歌った曲をリリース。この曲を聞いて以来、さしでビートルズ話をしてみたいと思っていた大塚さんと、この対談コーナーでようやくその機会をもつことができました。

2000年にリリースされたニーネの名盤『8月のレシーバー』

竹部:大塚くんと最初に会ったのは、2000年ぐらいじゃないかなと思うんですよ。確かニーネの『8月のレシーバー』が出たときだったかと。

大塚:そうだっけ。どっかの雑誌に紹介してくれたんだっけ。

竹部:『オリコン』の業界誌でインディーズページを担当していたことがあって、そこで紹介したんですよ。『TVブロス』でのレビューを読んでCDを買って興味をもって。

大塚:『ブロス』で青木優さんが書いてくれてね。

竹部:そうそう。タワレコの新宿店でも大プッシュされていたでしょ。

大塚:行(達也)さんが売ってくれたんだ。

竹部:それで大塚くんに連絡したのかな。電話したのかな。そこから親しくなって、ライブに行ったりして。その頃、渋谷クアトロでニーネのライブを観た記憶あるよ。

大塚:そっか。

竹部:大塚くんのメールっておかしくて。毎回必ずアイドルの写真が添付されているの(笑)。それが楽しみになってきちゃって、今日は誰かなって。それから自分もお返しするようになって。

大塚:行さんとも同じようなやり取りしていたんだよ(笑)。

竹部:あの人、ハロプロが好きだったよね。思い出したけど、大塚くんは市川由衣推しだったよね。

大塚:そうだね(笑)。

竹部:ニーネの歌詞にも登場していたよね。市川由衣。「夏休みは終わりだ」って曲。いい曲なんだよね。

大塚:竹部くんから市川由衣のCDとDVDもらったことがあったよね。

竹部:あげたかな。あと、自分が主催する歌謡曲のイベントにもよく出てもらったよね。ライブをやってもらったり、貴重な歌謡曲の映像を上映してもらったり。思い出したけど、小沢健二の神奈川県民ホールでも偶然会ったよね。

大塚:あったね。

竹部:だから、大塚くんとビートルズの話をした記憶がなくて。

大塚:うん、ちゃんと話をしたのは『ビートルズ・ストーリー』だよね。

竹部:今日会うのはあれ以来なんだよ。7年ぶりかな。でも、どこで大塚くんがビートルズ好きなのかを知ったのかが思い出せない。『ビートルズ・ストーリー』に出てもらったのも何かのきっかけがあって、依頼したと思うんだけど……。

大塚:そうだね。でも僕も相当ビートルズが好きだったから、やり取りの合間にちょこちょこ出ていたんじゃないのかな。

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熱心なビートルズ・シネ・クラブ会員時代


ビートルズ・シネ・クラブの会報

竹部:そういう大塚くんのビートルズ初体験っていうのはいつなの?

大塚:厳密に言うと、幼稚園のときに観た『ポンキッキ』だと思うよ。でもちゃんとビートルズを意識したのは、ジョンが死んだ直後だね。小2から小5まで父親の仕事でタイに住んでいたんだよね。ジョンのニュースはタイで新聞で見たんだ。日本語の新聞が一日遅れで届くんだけど、それで知った。でもその時はまだジョン・レノンがどういう人かまではよくわかってなかったんだ。日本に帰ってきたのは81年、小6のときだったんだけど、その頃からかも。

竹部:大塚くんって何年生まれだっけ?

大塚:70年の早生まれで、学年は69年の代。そうそう。それで当時、家の近くに貸しテープ屋さんっていうのがあったんだ。

竹部:テープ?レコードではなく?

大塚:そう。店というか部屋の端に別部屋があって、そこにダビング機械が置いてあるの。そこでテープを10倍速でダビングできたんだ。

竹部:貸しテープ屋って聞いたことないな。貸しレコード以前の話でしょ。

大塚:そうだね。友&愛とかもうあったかもしれないけど、そのお店はテープがメインだったんだ。借りるといっても、別室でダビングしている間だけなの。すぐ返して。でもそれが違法だっていうんで警察が入って撤収されて潰れた。

竹部:法の目をかいくぐったように見せたビジネスだったんだね。

大塚:お客さんも店の別室で勝手に機材を使っていますよっていう感じだった。

竹部:今じゃ信じられないサービスだね。でも大塚くんのビートルズ体験を語る際、そこは重要であると。

大塚:そうそう。そこにジョンのベストがあったの。ジョンの顔のアップのジャケのやつ。

竹部:『コレクション』だね。あれは82年だよ。

大塚:そっか、そしたら最初は『リール・ミュージック』かも。『リール・ミュージック』ってそれより前?

竹部:その前。82年4月。

大塚:じゃあ、最初は『リール・ミュージック』かな。輸入版テープを買ったんだ。近所のディスカウントショップで1500円ぐらいだったかな。高いとは思ったけど、 なんか無性に欲しくなって買ったんだ。82年だから中1だね。その頃『アニメ・ザ・ビートルズ』もあったよね。あれを観ていてあっと思って買ったのかもしれないな。『アニメ・ザ・ビートルズ』が先か『リール・ミュージック』が先かっていうのはちゃんと覚えてないけど……。あと、ドラムのロゴのビートルズマークをくりぬいて、そこにビートルズの写真がいっぱいコラージュされているベストが出たでしょ。あれも買ったよ。はまったな。

竹部:それも82年。出たのは年末だよ。ほんとにハマったのは82年なんだね。

大塚:でもその前に『レアリティーズ VOL.2』を買っているかな。

竹部:あれは80年リリース。ジョンが死んで、直近リリースの『レアリティーズ VOL.2』を買ったのかもしれないね。『レアリティーズ VOL.2』っていうのもまた渋いけど。

大塚:ということは小6だ。タイから日本に帰ってから近所のレコード屋さんによく行くようになって、なんとなく買ったんだ。「アイム・ザ・ウォルラス」がすごく好きで。

竹部:『レアリティーズ VOL.2』に入っている「アイム・ザ・ウォルラス」は通常バージョンと違うんだよね。

大塚:そうそう。その頃は気になるレコードはなんでも買っていたんだ。もともとはバンドが好きで、ゴダイゴ、ザ・タイガースとか。ちょうどタイガースが復活したでしょ?

竹部:大塚くんの音楽の趣味は雑食だよね。

大塚:演歌や歌謡曲も好きだったしね。春日八郎、五木ひろし、布施明……。しかも渋い曲が好きでさ(笑)。小学生なのに「めぐり逢い紡いで」って曲が好きだったんだ。知ってる?

竹部:知らないよ(笑)。そういう友達いなかったでしょ。ビートルズはそういう音楽のワン・オブ・ゼムだったということ?

大塚:ビートルズファンもいなかったね。だからひとりで楽しんでいたよ。

竹部:狂ったようにビートルズが好きだったと。

大塚:もう1日中ビートルズで、それが毎日。親には「勉強する」って言って、机に座って歌詞をカード見ながら歌ったり。英語はビートルズでずいぶん助かったよ。授業で習う前にビートルズで英単語、過去形、未来形、進行形なんかを覚えるんだよね。朝もタイマーでビートルズのレコードをかけて起きてたよ。『ホワイト・アルバム』で。

竹部:いいね(笑)。学校から帰ってくると、またビートルズ。

大塚:中2の時はクラスにビートルズが好きな友達がいたから、休み時間もずっとビートルズの話をしていたよ。家では自分の好きな曲を集めたカセットテープを作ったりしまくってた。


ビートルズ復活祭のチラシ

竹部:同じですよ。でも 80年代ってビートルズにとっては暗黒期だったと思っていて。ポールは捕まって、ジョン死んじゃうし、ジョージも『ゴーン・トロッポ』以降隠遁生活に入るし。そんななかでファンにとってファンクラブの存在は大きかったのかなって思うんですよ。大塚くんはすぐにビートルズ・シネ・クラブに入ったの?

大塚:入った。中2かな。81年だと思う。あれ入っちゃうよね。だって、いろんなところにシネ・クラブって書いてあるから。なんだろうって思うよね。

竹部:レコードから書籍から、とにかくいろんなところに入会案内が書かれていたよ。

大塚:こういうのとかね(と言って持参の小冊子を出す)。それでシネ・クラブに入ったんだと思う。会報が楽しみでね。いまだに持っていて今日持ってこようと思ったんだけど、見つけられなくて。実家にあるんだと思うんだけど。

竹部:シネ・クラブの会報は毎月来るわけじゃない? 当時は情報といえばそれしかないわけだよね。

大塚:表紙もかっこよかったし。見たことない写真でね。メンバーの近況やビートルズの最新情報が載ってて。あとはグッズも販売していたでしょ。それをすごく楽しみにしていて。それもまだ全部取ってあるよ、福袋も買っちゃったり。マフラーを持っているんだけど、マフラーなんて自分で選んだ記憶がないから福袋に入っていたんだと思う。

竹部:結構なヘビユーザーだったんだね。何年ぐらいまで入ってた?

大塚:会報が結構残っているから、3~4年は入っていたんじゃないかな。

竹部:会員を更新すると映画のフィルムをもらえるんだよね。

大塚:そうだっけ? そうだったかも。

竹部:実は自分はシネ・クラブには入ってなかったんですよ。

大塚:そうなんだ。

竹部:高校のときの仲のいい友達が入っていて、毎月会報を貸してもらっていたんですよ。封筒ごと貸してくれるから、そのなかに更新時の特典も入ってて。

大塚:だからわかるんだね。

竹部:自分はコンプリートビートルズ・ファンクラブっていうのに入ってたの。でも、「復活祭」には行ってた。最初に行ったのが82年8月の九段会館。日本公演の映像を観た。

大塚:ぼくも見たかもしれないな。演奏が下手だなと思った覚えがある。九段会館でシェアスタジアムのライブを観たことは覚えているな。毎回4、5本立てでやっていたでしょ。

竹部:5時間ぐらいやってた。当時の「復活祭」ってすごく盛り上がっていたよね。超満員で、しかも若い人ばかり。

大塚:ビートルズの映像は見られなかったからね。ビデオは高かったし。

竹部:「復活祭」はグッズ売り場も盛り上がっていたよね。

大塚:日本公演のレプリカパンフレットを買ったよ。物差しやノート、缶ペンケース、紙袋とかたくさん買った。同じものを3枚ぐらい買ったり。買う気満々で行くからさ(笑)。

竹部:確かに「復活祭」に行くと、買わなきゃみたいな気持ちになったよね。事前に買うものをメモしている人とかいたよ。「これとこれとこれ。全部ください」みたいな(笑)。なんか殺気立っていたよね。あそこに入ってくのが大変で。あのなかに大塚くんいたんだね。

大塚:いたね。いいカモだったよ。ほんとに。

竹部:前の方で見たいから毎回一番乗りしてたんだけど、そうすると、スタッフの人が寄ってきて「君たち、手伝ってくれないかな」って言われるの。「その代わり好きなグッズひとつと観たい席を確保していいよ」って。何度か手伝ったことがあるんだ。

大塚:そうなんだ。

竹部:何をやったか覚えてないんだよね。売店に立ったのかな。でも売店に立つってことはお金を扱わなきゃだからボランティアにそこまでやらせないよね。

大塚:グッズの搬入とかかね。箱からものを出したり。どんどん売れていたからね。

竹部:飛ぶように売れるというのはまさにあれですよ。

大塚:今日はこれを持ってきたよ。レノングラス(笑)。シネ・クラブで買ったんだよ。アホだよね(笑)。似合わないから全然使ってない。

竹部:すごい(笑)。これ貴重。でも単に丸いサングラスだよね。どこがジョン・レノンなんだという(笑)。自分もジョンに憧れていたから、新宿の思い出横丁あたりにあったサングラス屋で同じようなもの買いましたよ。


ジョン・レノン・サングラス

竹部:「復活祭」って5時間ぐらいやっていた長丁場なのに、グッズの売店はあったけど飲食の売店はなかった気がするんですよ。

大塚;お腹すいちゃうね。

竹部:我慢していたんだよね。会場でシュエップス試飲会やっていたのは覚えてるな。

大塚:うん。リンゴがCMやっていたからね。

竹部:じゃあそのときに会ってるね。

大塚:シュエップス美味しかったよ(笑)。