欲しいものがなんでも揃っていた高田馬場ゲット・バック


80年代ファンが買っていた番号入りの国旗盤

竹部:炭酸が効いてて。その頃「ゲット・バック」にも行ってるんでしょ?

大塚:高田馬場時代のね。行ったよ。駅からちょっと離れた線路沿いの道のところにあって。そこに行ったら全部欲しいって感じだった。プロマイド、文房具、ポスター、写真集、海賊盤、なんでもあったよ。ビートルズのものなら全部ほしいと思っていたから、感動だよね。でもお金が足りないんだよ(笑)。

竹部:行ったことないんですよ。存在は知っていたけど。

大塚:「ゲット・バック」はすごかったよ。毎週のように通ってた。ほんとに。「ゲット・バック」で買ったポスターを部屋に貼ってたし。

竹部:西新宿のブート屋は行っていたんだけど、高田馬場には行かなかったんだ。

大塚:僕も行ってたよ、西新宿。あの頃、なんだっけ、未発表曲アルバムが出るって盛り上がったことがあったよね。でも結局出なくて、そのあとブートがいっぱい出た。

竹部:『セッションズ』ね。あれが出まわったのは85年なんだけど、当時の資料を観ていると、82年くらいから噂されていたんだね。82年末に出るかもなんて記事があった。

大塚:「ゲット・バック」で買ったよ。「リーヴ・マイ・キトゥン・アローン」が大好きでさ。あと「カム・アンド・ゲット・イット」もかっこいいと思ったかな。もう1曲、リンゴの「イフ・ユーヴ・ガット・トラブル」もよかった。

竹部:『セッションズ』は大事件だったよね。

大塚:僕は早い段階からブートも聞いていて、シネ・クラブが資料テープとして売っていたBBC音源を買っていたんだ。通販とか「復活祭」とかで。ビートルズがカバーしている曲が好きでさ。「ア・ショット・オブ・リズム・アンド・ブルース」。ジョージの歌う曲もいいんだ。「クライング、ウェイティング、ホーピング」。

竹部:BBC音源は83年の4月に、東京FMで大特集やったんだよ。イギリスBBCの番組の流用なんだろうけど。あれは衝撃だった。それまでブートで聴いていた音質よりもよくて。それをもとに新しいブートがたくさんブートが出ていくんだけど。

大塚:ほんと? ブートでいえば『ゲット・バック・セッション』のやつとかも買ったよ。演奏が下手でびっくりしたね。「ヘルプ!」も歌っているんだけど、やる気もない感じで。

竹部:わかる。曲目に「ヘルプ!」って書いてあるから期待して聴いてみるとあれ?って。『スウィート・アップル・トラックス』かな。

大塚:タイトルは忘れてしまったけど、結構長いカセットテープだったな。それもシネ・クラブで買ったんだ。とにかくビートルズが演奏している曲っていうだけで嬉しかったんじゃないかな。デッカのオーディション・テープも、スター・クラブも好きだもん。レコードで買った。

竹部:デッカ・オーディション音源は82年に正規で出たんだけど、びっくりした。こんな音源があるんだって。「テイク・グッド・ケア・オブ・マイ・ベイビー」好きだったな。いつのまにかブートの話になってしまったけど、結構早い時期に正規盤は全アルバムを聴いてた?

大塚:収集癖があるから、欲しいものは持ってないと気が済まない性格なんだよ。なんでも聞きたくなっちゃうからどんどん集めていたよ。全アルバムが揃ったのは中2かな。中2がピークなの。

竹部:日本盤だよね。我々世代だと国旗盤といわれるやつ。どこで買ってたの?

大塚:日本盤は同級生の家がレコード屋さんだったので、とにかくそこで買ってた。輸入盤は国立にあったディスクユニオンとレコードプラントっていう輸入盤屋さん。そこで日本盤とは違うデザインのジャケットを見て欲しくなって。アメリカ盤の『ビートルズ65』とか赤いジャケの『ハード・デイズ・ナイト』とか。

竹部:早くからアメリカ盤に行ってたんだ。

大塚:中2のときに、普通のレコード屋で買えるやつは揃えちゃったからね。中3になるとストーンズも買い始めるし。

竹部:小遣いはどうやりくりしていたの?

大塚:お小遣い、お年玉とかは全部レコード。友達がアイス食べても絶対食べなかった。なんでなくなってしまうものにお金をかけるんだろうと思ってたよ(笑)。

竹部:その頃好きなアルバムは?

大塚:最初にハマったのは『ウィズ・ザ・ビートルズ』かな。かっこいいと思ったんだ。その時はわからなかったけど、パンクを感じたんだと思う。

竹部:ピストルズを聴く前ということ?

大塚:うん。激しい衝撃を受けた。キンクスだったら「ユー・リアリー・ガット・ミー」を最初に聞いたときにみたいな。あれも同じくらいびっくりしたけど。あとアメリカ盤の『ミート・ザ・ビートルズ』も好きだった。あれに入ってる「抱きしめたい」がすごく好きなんだ。

竹部:アメリカ盤は音が違うからね。

大塚:ちょっとスピードが遅くて、エコーが深いんだよ。

竹部:ソロはどう?

大塚:ソロはビートルズが全部揃ってからだね。最初はちょっと戸惑ったかな。でも、とにかくジョンが好きだったのね。最初は『ダブル・ファンタジー』。帯に追悼盤って書いてあるやつだったな。あれが始まり。でも家で2曲目聞くのが恥ずかしくて……。あのときだけボリューム下げてた(笑)。

竹部:わかるな。あの曲、罪深いよ。「キス・キス・キス」いい曲なんだけど。

大塚:曲は好きなんだけど、恥ずかしいからさ(笑)。

竹部:『ダブル・ファンタジー』でのジョンとヨーコの対話形式の流れ、素晴らしいよね。

大塚:ヨーコの他の曲も好きだったよ。「ビューティフル・ボーイズ」から「ビューティフル・ボーイ」の流れとか。ヨーコの厳しい歌詞も好きだったし。


国旗盤に交じってUS盤も

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最初に手にしたギターはハンドメイド


大塚久生名義「缶ペンケース」PVより

竹部:ギターを始めるのはその頃?

大塚:楽器屋でちゃんとしたギターを買ったのは85年なんだけど、その前に自分で作ったんだ。板を買ってきて、ギターの形に切って、弦を張って、スピーカーを埋め込んで。スピーカーは音が鳴るなら、逆に音も拾うだろうっていう、勝手な発想で。それをラジカセのマイクにつないだら音が出たんだ。

竹部:DIYが好きだったの?

大塚:そうだね。でもフレットがないからチューニングは出来ないよ。だからオリジナルチューニング。最初はその手作りギターを遊びで弾いてた。

竹部:おもしろいな。

大塚:最初に買ったのはフェルナンデスのストラト。でも左利きなんで、 1ヶ月くらい待たされたし、形も選べなかった。「これしかないです」って言われて。それを買ったのは宇都宮のオリオン通りっていう商店街の楽器屋。新星堂がやってた店かな。

竹部:左利きの人ってコードの押さえ方がおかしかったりするけど大塚くんは普通だよね。

大塚:完全な左仕様なんで、右の人が右で持つのと同じ。でもたまに人のギターを借りることもあるから、右ギターでの逆弾きも覚えてる。

竹部:甲斐よしひろとか松崎しげるの押さえ方見るといつも不思議な気持ちになるよ。そういえば、ポールが初めてジョンに会ったとき、「トゥエンティ・フライト・ロック」をギターで弾くっていう有名な話あるじゃない。あの話を聞いたとき、ギターはどうしたんだろう?って思ってたのね。

大塚:そうだね、借りたんだったら逆だね。

竹部:でね、『ノーウェア・ボーイ』っていう映画のなかでは、ポールは出かけるときに、自分のギターを自転車に積んで行っているんだ。本当に? と思っていたら、06年くらいのインタビューでポールが、ジョンのギターを借りたって言っているんだよ。逆でも弾けるんだって。

大塚:逆もちでやったんだね。それでもうまかったんだ。

竹部:そう。ジョンが感心したのはそれもあったのかもね。それで、初めて買ったギターでビートルズを弾いたわけ?

大塚:弾いていたよ。楽譜も一通り買ったな。

竹部:シンコー・ミュージックの。

大塚:かな。黒くて真ん中に4人写真が色付きになってるやつ。

竹部:色違いがあるんだよね。

大塚:そう。「デイ・トリッパー」とか、別に楽譜見なくても弾けるんだけど、欲しくなって買っちゃう。

竹部:ビートルズの楽譜の歴史も面白いね。アルバムごとに楽譜が出だしたときは驚いたな。そのあとバンドは?

大塚:バンドはギターを持ってない中2のときからやっていたんだ。ギターがないからピアノとハーモニカとかで。そこにあるもので音を出してた。段ボール叩いて。

竹部:似てるな。ギター弾けないんだけど、バンド組んじゃう姿勢。

大塚:友達の家が神社で、その離れにオープンリールを持ち込んで録音してた。なんかオリジナルも作って歌ってたよ。ただ叫んだりね。逆回転録音もしてたよ。

竹部:子供の頃って、発想力が豊かだから、結果はどうなるかわかんないけど、とにかくやってみようみたいな。録音するという行為自体が珍しかった時代だから。

大塚:ギターを買ってからはラジカセで音を歪ませることにも一生懸命だったよ。エフェクター買えないから。ラジカセを2台つないで、ひとつめのラジカセにギターをつないで、 最大のボリュームにして、ヘッドホンのイヤホンアウトから二つ目のラジカセにマイク入力すると歪むっていうことがわかったんだ。それもなんとなく自分で考えた。

竹部:ラジカセにはよくないよね(笑)。音が歪むってことが感動だよね。

大塚:でもよくビートルズの曲を演奏したかっていうとあまりしていないんだ。曲を作っていたからね。でも市の公民館でライブやったときはビートルズやったよ。自分たちで楽器とか機材持ち込んで。友達も見に来てくれて。「ツイスト・アンド・シャウト」とか、簡単なやつ。