ニコラ・ヨキッチ(デンバー・ナゲッツ)のこれまでの足跡を記した伝記本『Why So Serious?』が12月3日に発売される。
NBAで同じ欧州出身のMVPと言えば、ギリシャのヤニス・アテトクンボ(ミルウォーキー・バックス)の『ヤニス・アデトクンボ ~栄光への旅路~』『ライズ~コートに輝いた希望』(どちらも映像作品)でバックグラウンドが紹介されているが、ヨキッチについては、本人がメディア露出に積極的でないこともあり、あまり知られていなかった。
そこで今回、元デンバーポスト記者のマイク・シンガー氏がセルビアに飛び、ヨキッチの関係者や家族に取材を敢行。
同氏がポッドキャスト番組『The Hoop Collective』に出演時に語ったおすすめポイントは、少年時代のヨキッチがいかにバスケットボールに熱中していなかったか、だ。
スター選手の生い立ちが語られる際、「物心ついたときにはバスケットボールを触っていた」「寝食も忘れて、庭でシュート練習をしていた」等、いかに”バスケ狂”だったかというエピソードがほとんどだ。
しかし、ヨキッチの場合は真逆だった。
彼が12、13歳の頃、練習に参加したのは試合前の3日間だけで、その後はまた次の試合前まで欠席。「ケガをしている」と嘘をついては、フィジカルトレーニングをサボって川べりで遊んでいた。
それでも実際にコートに立つとその才能は群を抜いていたため、チームメイトたちはヨキッチに、「頼むから一緒に練習してくれ!」と懇願していたそうだ。
ヨキッチが情熱を注いでいるのが騎馬レースであることはよく知られており、彼は子どもの頃から馬に夢中だった。
そこで大人たちは、「バスケのトレーニングに行ったら、好きなだけ馬の世話もしていい」と”ニンジン作戦”で、彼をバスケコートに向かわせていたのだった。
以前、ヨキッチを10代の頃から知るセルビアの記者からも、同じようなエピソードを聞いたことがある。当時のコーチは、「とにかくヨキッチにバスケを嫌いになってもらっては困るから」と、コート上では自由にプレーさせていた。
ただ、それが功を奏して、今のようなオールラウンダーに成長したのは興味深い。その頃から何より際立っていたのが、コート上の状況を瞬時に見分けるゲームビジョンだった。
走ることが嫌いだった少年時代のヨキッチはぽっちゃり体型だったが、そうした鋭い読みのおかげで、最小の動きで最大のインパクトを与えることができていたのだ。
シンガー氏は、この本の執筆後にナゲッツのフロントのスタッフとなり、現在はストラテジー&インテリジェンス部門統括ディレクターという役職に就いている。
さっそく刷り上がったばかりの著書をヨキッチに渡すと、「誰に会ってどんなインタビューをしたの?」と興味津々だったそうで、「(練習を)12回連続欠席」と書かれた当時の写真を見せた際には、苦笑いしていたそうだ。
ちなみに、『Why So Serious?』(なんでそんなに深刻になるんだ?)のタイトルは、映画『ダークナイト』の中で、ジョーカーが発したこの名セリフからヒントを得たとのこと。
ヨキッチのニックネームである”ジョーカー”ともかけつつ、さらに彼が、会見時にいつも飄々として質問の核心をはぐらかしているように見えても、自分の仕事であるバスケットボールに対する姿勢は真剣そのものである、という隠喩、逆説の要素が含まれている。
来年2月には30歳を迎えるが、今季は平均得点(29.7)でリーグ4位、リバウンド(13.7)とアシスト(11.7)、3ポイント成功率(56.7%)ではリーグトップと異次元のプレーを続けている。今後もヨキッチは長きにわたってナゲッツ、そしてリーグの中心選手であり続けるだろう。
文●小川由紀子
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