【NOAH/インタビュー】元日武道館へ中邑真輔が佐々木憂流迦に辛らつメッセージ「甘やかされてる」「何を残せる?」

 元日・日本武道館大会で2年ぶりとなるNOAH参戦が決まったWWE・中邑真輔。2年前はグレート・ムタとプロレス史に残る名勝負を残したが、今回はその試合を観てプロレス挑戦を決意した佐々木憂流迦との一騎打ちに臨む。

 憂流迦は和術慧舟會の後輩にあたり、憂流迦のUFC時代にもたびたび練習をともにした。たびたびプロレス挑戦も勧めていたといい、憂流迦自身もシャイニング・トライアングルなど中邑の技を自己流にアレンジして使っている。

 プロレス・格闘技を“芸術”とみる共通項もある二人。「中邑vsムタ」から2年後に行われることになった運命的一戦に向けた中邑の心境とは――。

【中邑真輔インタビュー】

――NOAHのリングに上がるのは約2年ぶりとなりますが、2023年のグレート・ムタ戦について振り返ってみていかがでしょうか?

▼中邑「プロレス大賞もとらせていただいて。その辺の時にはいろいろ語ったと思うんですけど、今こうして考えるとあの試合は自分のキャリアの中でもものすごく特別な経験になりますし、自分が感動できる試合はできたなと思いましたね」

――そして今回は2年ぶりのNOAH参戦となります。

▼中邑「ありがたいとは思っていますね。WWEの体制もめまぐるしく変わっておりまして。自分はもうここ6カ月テレビに出ていませんが、それこそ今まであったツアーのスタイルが変わってくるぐらい。まだたぶんこれからも変わっていくとは思うんですけど、ある種日本で試合をするというのはやっぱり特別ですし、ある意味いい刺激をいただけるなと思って。非常にありがたいなと思いました」

――対戦相手の佐々木憂流迦選手ですが、中邑選手がプロレス界に導いた選手でもあります。

▼中邑「無責任にもですね、まだあいつ何歳だったんだろ?10代だったのかな?早くプロレスラーになりなよっていうことを言ってましたから。ムタ戦の時に控室で合って、お!と思って。何にもないのにここにいる訳がねえだろと思って。じゃあお前、腹決まってんだろうなって思って、いつ来んの?っていう話はしましたね」

――憂流迦選手とはニューヨークの同じジムで練習していたというお話を聞きました。

▼中邑「ニューヨークに行くことが多々あったんで。たぶん僕がSNSで、憂流迦ともずいぶん会ってなかったからニューヨークいるんだと思って。たぶん僕から声かけて、じゃあ一緒に練習しようよって言って憂流迦が行っていたアルティメットジムっていう所で一緒に練習して。で、一緒に飯食ったりニューヨークの僕の知り合いを紹介して、後輩なんでよくしてやってください的な?ことはしていましたね。まぁだから行くたびにあいつと予定が合えば会ったりはしていましたね。飯も食わしてやんなきゃなとか思ったりとか」

――日本での貴重な試合の機会が、関係値があるとはいえデビュー2年目の選手ということについてはどうお考えでしょうか?

▼中邑「ここに至るまでのストーリーはありますから。まぁ彼が引き寄せたチャンスかもしれないし、僕にとってのご褒美かもしれないし。必然と言いますか、彼が手繰り寄せた運命だと思いますから。それは自分にとってもそうでしょうし。責任は取らないと言いましたけど、軽口の責任は取ってやろうかなとは思いますね、試合で」

――憂流迦選手は、早くも中邑選手との対戦が実現したということについて、“怖いほどにプロレスを感じている”との発言がありました。中邑選手はこういった“怖さ”を感じたことはありますか?

▼中邑「僕はそんな経験しかないので。それこそ恐怖もあるし、とりあえず生きるか死ぬかと思ってますから。自分は何も持っていなかったから、今の憂流迦とは違うくらい何も持ってなかったから、やっぱり命差し出すしか勝ち目ねえだろって思ってましたけどね」

――中邑選手も若手時代には総合格闘技を経験されました。

▼中邑「僕が日本でプロレスをやっている頃に、彼がまだ静岡にいる頃巡業がそこでありまして。そのあとにですね、ちょうど僕の学生時代の総合格闘技の師匠に当たる方と憂流迦の師匠、一緒なんですよね。名前出したほうがいいのかな?芹沢(健一)さん。(その時)後輩を連れていくというか教え子を連れてくみたいな感じで。その時に、まぁまぁビジュアルもいいし身長もあるし総合格闘技の下地もあるから、お前たらたらやってないでプロレスは入れよって。言ったなと覚えていますね」

――憂流迦選手はこの試合を通じていろんなジャンルの人にもプロレスラーになりたいと思わせる試合をしたいと発言されていました。

▼中邑「随分なんだろうな、甘やかされて育ったんじゃねえのとか思いますよね。お前が今やらなきゃいけないことは、必死にもがき苦しんでせっかく手に入れたチャンスをどうにかこうにか形にすることだろうよ、とは思いますけどね。人が見てどう思ってくれるかとか、そんなものは二の次で。まずは元旦のリングに立てるかどうか、そういう所じゃねえの?とは思いますけどね」

――憂流迦選手の“ファイトアート”という表現は中邑選手と通じるところはありますでしょうか?

▼中邑「格闘技は芸術ですから。それを憂流迦はどういう風に表現するのかっていうところを求めているのであれば、例えばプロレスや格闘技はやっぱり美しいものではありますし、技術の攻防、ビジュアル、それも美しいとは思います。ただ僕がプロレスに感じているアートと言われる部分っていうのは、感情や言葉をそのまま出すのではなくプロレスにして表現するっていうところを指してますので彼が意図するファイトアートっていうのは、わからないけれどもそれも一緒にリング上で出せてくれたらいいんじゃないのとは思いますね。どれぐらい憂流迦は危機感を感じているのかわかりませんが、側から見ているとなんやかんやチヤホヤされてんじゃねえの?とは思いますから。でも実際は、僕が憂流迦の立場だったら崖っぷちというか。やっぱりこのままいくと先は無いなって思っちゃうから。まぁ必死にリング上で這いつくばって喰らい付いてはいるんでしょうけど、まだ足んねえなとは思いますね。このまま平行線を続けても、だらだら続けてても望む未来はやってこないんじゃないの?とは思います。本人がどれくらい感じているかっていうのと…それでいいんだったらいいんですけどね。別に俺の人生じゃないし。ただこの舞台が用意されて、憂流迦が指名されて。自分を上げる訳じゃないけど中邑真輔とやれんのかっていう部分で、じゃあ何残せるんだよお前、っていうところはお客さんもね。僕を見るでしょうけどそれ以上に“お前、なにができんだ?”って注目が集まるんじゃないでしょうか。どうせなら、格闘家、プロレスラー、そういうものを取っ払って、素の佐々木憂流迦でくればとは思いますね」