”経営の神様”と称された稲盛和夫さんが生前に語っていた「人の思いや考え方が運命を変える」の意味

京セラと第二電電(現KDDI)を創業、経営破綻した日本航空(JAL)の会長として再建を主導し、「盛和塾」の塾長として経営者の育成にも注力した稲盛和夫さん(享年90歳、2022年8月逝去)。著書の累計が世界2800万部に及ぶ実績を残した稲盛さんだが、10代の頃はうまくいかないことも多かったとか。

そんな稲盛さんが語っていたことの一つが「運命は変えられるか」。生前に語っていた若い人たちへのメッセージをまとめた新刊『「迷わない心」のつくり方』(サンマーク出版)よりお届けする。

人生には運命と因果がある

私は自分がつくりました人生の方程式を、「人生の結果の法則」と言ったりするのですが、人生にはもう一つ「因果の法則」というものがあります。

宗教的な話になってしまうかもしれませんが、私が因果の法則というものに気がついたのは、安岡正篤(やすおかまさひろ)という人の本を読んだときでした。

もう亡くなられましたが、安岡先生は戦前戦後の日本の精神界をリードしたすばらしい哲学者です。多くの中国古典を日本に紹介し、日本のリーダーたちの精神形成に大きな影響を及ぼしました。

安岡先生の書いた本の中に『運命と立命』というものがあります。若い頃に読み、私はたいへんな感銘を受けたのですが、これは中国の『陰騭録』(いんしつろく)という本を例にとり、人生には運命と因果の法則の二つがあるのだということを、インテリの人たちにもわかりやすいように紹介している本です。

簡単に説明をしてみます。

『陰騭録』は今から400年ほど前、中国・明代に袁了凡(えんりょうぼん)という人が書いた本です。

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老人から予言された運命

袁了凡さんが子どもの頃、まだ袁学海(えんがっかい)という名前だったときのことです。ある夕暮れ、学海少年が住む家の前を白髪の老人が通りかかりました。

「これこれ、おまえさんは学海少年ではないか」

声をかけられた学海少年は、そうですと答えます。

「私は南の国で易を究めた人間だ。北の地に住む学海少年に易の真髄を教えよという天命が下ったので、わざわざおまえさんを訪ねてきたのだ」

その日の宿を少年の家でとることになった白髪の老人は、夜、学海少年のお母さんを前に話を始めます。

「お母さん、あなたはこの子を医者にしようと思っていますね」

学海少年は幼い頃にお父さんを亡くし、以来、お母さんと二人で暮らしています。

「はい。若くして亡くなりましたが、私の主人、つまりこの子の父は医者をしていました。お祖父さんも医者でした。代々医者をしている家系でございますから、この子にも医者になってもらおうと思っています」

「いやいや、この子は医者にはなりません。科挙の試験を受け、中国の立派な高級官僚として出世をしていくという運命になっています」

老人は次々と学海少年の未来を語り始めます。

「何歳のときに郡部の試験を受け、何人中何番で合格する。次に県の試験を受けたときには何人中何番で合格する。さらに、何歳のときにその上の試験を受けるけれども、そのときは不合格となる。しかし翌年、合格する。最後は北京で行われる試験に合格し、高級官僚の道を歩き始める。若くして出世し、地方長官として赴任することになる。結婚はするけれども、残念ながら子どもには恵まれず、53歳で天寿を全うする」

老人がお母さんに語る話を聞きながら、学海少年は「ヘンなことを言うおじいさんだな」と思っていました。

実は学海少年は、その後、白髪の老人が言った通りの人生を歩むことになります。何歳で何の試験を受け、何人中何番で通るということも、北京の試験に合格し、若くして地方長官として赴任することも、すべてが老人の言った通りとなっていくのです。