大人になった学海が老師から言われたこと
長官として赴任した地には、立派な禅寺がありました。そこに立派なご老師がいると聞いた学海長官は、人生のいろんな訓話を聞きたいと思い、禅寺を訪ねます。若く聡明な長官が赴任してきたということを知っていた老師は、学海長官を快く迎えます。
「よくお出でくださいました。一緒に坐禅でも組みましょうか」
すばらしい坐禅を組む若い学海長官を見て、老師は舌を巻きます。
「あなたはお若いのに、なんとできた坐禅をなさる。どこで修行をなされた? 雑念妄念もなければ一点の曇りもない坐禅を組むということは、よほど修行をなさったのでしょう」
「いえ、私は難しい修行などいたしておりません。ただ、ご老師からそう言われて、思い当たることがあります」
学海長官は幼い頃に出会った白髪の老人の話を語り始めます。
「私は子どものとき、白髪の老人から自分の運命を聞きました。その後、老人が言った通りの人生を歩いてきました。結婚をしましたが、老人の言った通り、子どもには恵まれておりません。今後も老人が教えてくれた通りの人生を歩み、やがて53歳になれば命を終えると思っています。ですから、こうなりたいああなりたいという思いがないのです。老師が雑念妄念がないとおっしゃるのは、そのためかもしれません」
話し終わるや否や、老師はたいへん厳しい顔になります。
「若くして長官になった立派な人かと思ったら、あなた、それほどのバカだったのか。白髪の老人が話したのは、あなたが生まれたときに持ってきた運命のことなのだよ。その運命のままに生きるバカがおりますかよ。運命は変えられるのです」
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心に思い、行動することで、運命は変わっていく
オギャーと生まれてきてから、人は運命の命ずるままに歩き始めます。運命に翻弄(ほんろう)されながら人生を生きていくわけですが、その中で人はいろんなことを思い、いろんなことを行います。
私たちは人生を生きていく中で、いろんなことをします。「する」ということは、その前に必ず「思う」ことから始まります。
今日は帰ろうと思うから帰る、どこそこへ行こうと思うからそこへ行く。
行動する前には、必ず「思い」があるわけです。「思い」というものがあって、私たちは行動する。
実は、その「思い」というものがたいへん大事なのです。
運命に翻弄されながら生きていく中で、そのときにあなたがどういうことを思ったのか、どういう思いを持ってどういうことをしたのか。それによって運命は変わっていくのです。
運命に翻弄されながら、あるときにはたいへんひどい目にも遭うでしょう。たいへんな幸せに遭遇することもありましょう。
人生は波瀾万丈です。その災難に遭ったとき、幸運に会ったときに、あなたはどういう思いを心に抱き、どういうことを実行するのか。それによって運命は変わっていくのです。
「善きことを思い、善きことを実行すれば、運命はよい方向へと変わっていく。悪いことを思い、悪いことを実行すれば、運命は悪い方向へ変わっていく。決められた運命のままで生きるバカがいますか。運命は自分の考え方、自分の思いで変えられるのです」
そのように老師は諭(さと)します。