いやあ、クソ暑かったよ! ラスベガスF1初開催を知るエディ・チーバーに訊く。悪名高き“駐車場コース”でのレースは「悪い思い出ではない」

 F1では昨年からラスベガスGPが開催されており、大通りの“ラスベガス・ストリップ”を中心にしたストリートコースで豪華絢爛なレースイベントが行なわれている。このイベントはアメリカにおけるF1人気の高まりの象徴とも言えるが、実はラスベガスでは過去にも2度F1が開催されていたことは、知る人ぞ知る事実。それこそが、悪名高き“シーザーズパレスGP”だ。

「昼間に砂漠の真ん中で……バカみたいに暑かったよ」

 そう振り返るのは、かつてドライバーとして1981年、1982年のシーザーズパレスGPに参戦し、後者のレースでは3位表彰台を獲得したエディ・チーバー。アメリカ人の中では最も息長くF1を戦ったドライバーでもある。

 シーザーズパレスGPは、現在のラスベガスGPのようにセレブが集う華やかなレースとは全く異なっていた。ラスベガスの著名なホテルの名を冠したこのグランプリの舞台は、そのホテルの駐車場に即席で作られたコース。レイアウトも、同じようなコーナーが続く単調なもので、チーバーは「高速コーナーが右に、左に……と繰り返されていて、首がキツかった」と話す。そして開催時期は9月であり、気温は40℃にも迫ろうかという猛暑の中でレースが行なわれたのだ。

 1982年のレースで、当時リジェのチーバーは予選4番手を獲得。しかしスタートでは3番グリッドのミケーレ・アルボレート(ティレル)と接触してマシンにダメージを負ってしまった。最終的に優勝はアルボレートとなったが、3位に終わったチーバーは優勝の可能性もあったと語った。

「あの日の私のマシンは驚異的だった」

「レースの最初に、私はアルボレートと接触してしまい、ステアリングロッドが1本曲がってしまった。あの1コーナーの接触がなければ、彼の優勝はあったのだろうか? タラレバの話だけどね」

「でもアルボレートとホイールをぶつけていなければ、もっと楽しいレースができただろうね」

 現代と1980年代では、F1を取り巻く環境も大きく異なる。ラスベガスで初めてF1が開催された当時のことを、チーバーは次のように回想する。

「当時のF1は今ほどうまくプロモーションされていなかったと思う。今はNetflix(の番組)があったり、チームが色んなことをオープンに発信していたり、努力がなされていると思う。でも当時のF1は、私たちはフェンスの内側にいる動物といった感じで、その反対側にある観衆とは隔たりがあったと思う」

「でも、あのレースに悪い思い出は一切ない。興味深いとは思ったね。世界中を見渡してもあんな場所はない」

「あそこでF1のレースをするということに関しても、100%納得できていた。ただスパのようなサーキットとベガスを比べろと言われたら……(ラスベガスの方が)モロに駐車場という感じだったけどね」

 現在66歳のチーバーだが、今も数多くのレースを見ているといい、最近のアメリカでのF1人気を実感するような場面も増えているという。

「あちこちのレースを見ている。それに、NASCARの話だけではなく、F1の話をする友人が増えていることも嬉しい驚きだ」

「今もNASCARが絶大な人気を誇っているのも確かだが、F1がその差を縮めているのは驚きだ。Netflixは賢明な戦略をとったと言えるね。子供から大人まで、あらゆる年齢層がF1について話している」