八代亜紀(C)週刊実話Web

2023年12月に73歳で亡くなった歌手・八代亜紀さん。『舟唄』や『雨の慕情』など多数のヒット曲を残した彼女の故郷、熊本県八代市では功績を後世に伝えるため、記念碑の設置や代表曲を駅で放送するメモリアル事業が持ち上がっている。

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そんな矢代さんにも、若かりしころには「犬猿の仲」と呼ばれた歌手がいた。

レコード会社を巻き込んだ熾烈な“演歌の女王”争いが大きな溝を生んだのだ。

【昭和56年1月21日号掲載『なんでもNO1』年齢・肩書等は当時のまま(一部割愛や表現を訂正した箇所があります)】

「5億円」――テイチクから“三くだり半”をつきつけられ12月20日でフリーになった“演歌の女王”八代亜紀についたレコード各社の争撃戦の値段だ。

八代獲得に、ビクター音産、TDK、ワーナー、キャニオン、CBSソニー、テープーカーのポニーなどが名乗りをあげ、「亜紀ちゃん」と正月を返上しての懸命のプロポーズ。その八代と“犬猿の仲”といわれるのが、やはり演歌の都はるみだ。

大猿の仲。芸能界でも古くは高峰三枝子と高峰秀子がおり、歌手では一時、村田英雄と三波春夫が相手をライバル視し、「あの二人は、なるべく顔を合わさないようにしている」と、語り継がれていた。

八代と都の場合も多分に、そんな要素が含まれていそうである。

「NHKの紅白は別にして、八代と都が同じテレビ番組にというのは、あんまりありませんね。あるいは偶然なのか同時出演というのは稀有に近いですよ」(芸能記者)

負けん気の強い都はるみ

またこんな話もある。場所はNHKの控室。

「紅白のときですが、八代と都は、控室で顔が合わないようにしていますよ。仮に顔が合ったとしても、せいぜい、軽く会釈するぐらい。まず打ちとけて話をしているのは、見かけませんね」(ある芸能マネージャー)

都といえば、39年に『困るのことヨ』でコロンビアからデビュー。もうすぐ芸能生活も20年になる。

片や八代は、クラブ歌手を経て、テイチクからデビューしたのは46年。キャリアは今年で10年目。都にすれば後輩にあたる。

だから世間でいうほど八代を意識し、それが犬猿の仲になるくらいライバルとみなしているはか分からない。

現にこういう声もある。

「都がライバル視というか、意識しているのは、同じコロンビアの島倉千代子ですよ。都という女性、大物といわれる歌手ほど、ライバル意識を燃やしますからね。八代はどうでしょうかね」(某テレビ局芸能担当者)

だが“大物”といえば、八代は10年も後輩ではあっても、都と同じ演歌調のジャンル。昨年は歌謡賞レースから遠ざかったが、48年には『なみだ恋』が大ヒット。

そして55年には『雨の慕情』で、日本歌謡大賞、レコード大賞を独占。一躍、歌謡界の“女王”に躍り出たのはご存じの通り。

この間、都は一昨年の『北の宿』、昨年の『大阪しぐれ』などのヒットはあるが、実績的にみて八代が一枚上であるとの印象が強い。

もともと「負けん気の強い性格」といわれている都。同じ演歌歌手として、こんな後輩八代の急上昇ぶりを、「あたしも負けそう」と、諦めているとは考えられない。

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ライバル意識が刺激に

「それは確かにそうですよ。都と八代が犬猿の仲というのと、歌手として、八代の大活躍が刺激になっているといえるでしょう。顔が合っても、口もきかないというのではなく、ライバル意識がお互いを避けるように自然とさせているんじゃないですか」(前出芸能記者)

犬猿の仲、表現はちょっと強いが裏返せば競争相手ということであり、当人にとっては、ますますヤル気がわいてこようというものだ。

だが、こういう類の話だととかく尾ヒレがつくもの。例えば、八代と中尾ミエは、犬猿の仲と言われている。

これもテレビ局の控室で、「あんた後輩のくせに」と冗談で言ったもので、あとになると「中尾と八代は口喧嘩をしていた」と話が大きくふくらんでしまう。

八代と都にしても、むろん当人は「そんな、いがみ合いなんてしていません」と犬猿の仲説をきっぱり否定する。

だが、とかく男より女のほうが、ライバル意識も強いという。

だからテレビ局の控室でも、その感情がときに大きく働き、顔をそらすこともなきにしもあらずなのだ。