「野球」から「野菜」へ。元独立リーグ4番打者のたどり着いた農家とカフェ経営の「二刀流」

野球で培った体が輝いた農業


農作業に取り組む稲垣さん

退団したのは2019年の秋。27歳から「遅めの就職活動」が始まった。「どうすれば同学年のみんなに追いつけるのか」。神戸の実家に戻りながら仕事を転々とした。フィットネスジムのトレーナーやバーテンダー、映画のエキストラもしたという。

次のキャリアを手探りで探していると、サラリーマンだった父から「これからの時代、雇われるのではなく、自分で稼げる力を身につけろ」と言われた。元々起業という選択肢を考えていた稲垣さん。「成功するには強みがいる。何か自分の身体と経歴を活かせる仕事はないだろうか」。その時に思い出したのは、香川時代に手伝った知り合いの農作業だった。

退団2年前の2017年春、身体のケアでお世話になっていた理学療法士の男性から兼業でやっていた米作りの田植えに誘われ、初めて参加した。秋の稲刈りも手伝ったが、周りの年齢層は50〜70代とかなり高かった。30㎏の精米を運ぶ作業は彼らにとって重労働だったが、鍛え抜いた身体を持った稲垣さんにとってみれば朝飯前。これまでの人生が活かされた瞬間だった。
手伝った後に美味しい夕食をごちそうになったが、その場で聞かされたのは農家の置かれた窮状だったという。「お米は値段が上がらない。作っても赤字かトントンで、後継者のいない周りの家はどんどん辞めていっている」。信じられないと思いつつ、その言葉は「役に立てた」という成功体験とともに稲垣さんの脳裏に残り続けていた。

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2年の研修を経て、開業へ


人気の「プレートランチ」。食材の穫れた土地の風景を楽しみながら食べられる

「地元は海沿いで、農業というよりは漁業の方が身近でした」。関わりのなかった農業には経験も知識もなく、完全に0からのスタートだった。

引退直後の2020年に世界を襲った新型コロナウイルスの感染拡大が、稲垣さんの学習を後押しすることになった。「記事や動画、農業に関するものをとにかく学びました」。そこで高齢化や後継者問題はもちろん、売り先や価格にも課題があることを知り、自らカフェを立ち上げて付加価値を高める構想を考えついた。

「お客さんには農業が行われている地域にあるリアルを感じてもらいたいので開業するなら田舎」と決めていた稲垣さん。何から始めていいのか右も左も分からないまま、本来、古民家への移住者向けに開かれていた相談会に参加した。そこで話を聞いてもらった男性がたまたま西区で有機農法による野菜作りをしている農家だった。
ただ、待っていたのは厳しい現実だった。「ハードル高いから無理やと思う。農業も経営も分かっていないと痛い目に遭うで」。夢に向かっての特段の収穫はなく、名刺と連絡先を交換するだけで帰宅した。

後日、次の手を考えていると、相談した農家の男性から連絡がきた。「もう少し詳しく話そう」。翌日すぐに男性の元を訪れると、書類の入った封筒を渡された。中には、農業や関連事業で生計を立てることを目指す新規の就農者を支援する国の制度への申し込み用紙が入っていた。
「本気でやるんやったらまずは農業からや。国の研修制度を使って、うちでまず農業を学ばへんか」。嬉しかった。制度申請の期限も迫っており、その場で即決。帰り道に役所で手続きを行った。

それから週4日は農業の研修。残りの3日はカフェ開業の準備に費やした。アルバイトしていたバーで飲食経営のノウハウや経理を学んだり、神戸で人気のカフェに足を運んだりした。「どんなメニューを出していて、どれくらいの価格なのか。何人くらい働いているんだろうというところまで見ていました。ほぼ休みはなかったです」

2年間の研修期間を終え、2022年11月にまずはカフェをオープン。店が軌道に乗り出した2023年夏、ついに農家「稲垣将幸」がデビューした。