節目の50歳を迎えた2024年シーズン限りでの引退を決断したアスルクラロ沼津の元日本代表MF伊東輝悦。彼の現役ラストマッチとなったのが、11月24日のJ3最終節・松本山雅FC戦だった。
すでにJ2昇格プレーオフ行きが決まっている山雅の順位確定を懸けた一戦ということで、約2700人の山雅サポーターが集結。それも追い風になり、愛鷹広域公園多目的競技場に駆け付けた観衆は7162人に上った。
その全てが、96年アトランタ五輪でブラジルを撃破した「マイアミの奇跡」の決勝ゴールを挙げた男の最後の雄姿を脳裏に焼き付けようとしていたはずだ。
待望の瞬間が訪れたのは、後半アディショナルタイム。98年フランスW杯で共闘した盟友・中山雅史監督から「点を取ってこい」と声をかけられた時点では0-0だったが、直前に安永玲央のゴールが生まれ、ビハインドのなか、キャプテンマークを巻いてボランチの位置に陣取ることになった。
「まさかあそこで、(点が入る)とは思いましたけど、久々に緊張したなと。心地良い緊張でしたね」と本人は改めて喜びを感じつつ、ピッチに立ったという。
プレー時間は4分程度。チャンスらしいチャンスは、右サイドからのロングスローにペナルティエリア内で突っ込んだ場面ぐらいだった。
「プレーも何もないですかね。1つ、セットプレー絡みで俺と染矢の間にボールが転がってきて、『ああ、いけるかな』と思ったけど、めっちゃディフェンスがいたからムリだなと。あれが入ったら、それこそ良い見出しになったと思うけど、そうはいかないですね」と笑ったが、これが伊東のラストプレーとなった。
タイムアップの瞬間は「ああ、これで終わったな」とサッパリした表情を見せていたが、その後のセレモニーで家族から花束を渡された時には目頭が熱くなり、涙を拭う様子も見受けられた。
「僕、ホントにサッカーしかしてないから。家のことはほぼ100%、妻がやってくれるというか。息子を風呂に入れたこともないし、『サッカーいつまでやるの?』と一度も言われたことがない。ホントにノーストレスでやらせてもらった」と心からの感謝の念がこみ上げてきたのだろう。
確かに50歳まで現役を続けるのは、本人の努力はもちろんのこと、周囲の支えなくしては難しい。鉄人は自分のことを「丈夫な選手」と評したが、監督やスタッフ、家族など多くの人がいてこその32年間の長いプロキャリアだったに違いない。
【動画】伊東輝悦の引退セレモニー「みなさん、これからもサッカー楽しみましょう!」
そんな伊東から刺激を受けた人間は少なくない。自身も40代まで現役を続けた中山監督は感謝を口にする。
「沼津のトレーニングは決して楽ではない。多少はコントロールした部分はありますけど、そこにしっかりと挑んでくれた。『テルがやってるのに、何でできないの』っていうのは、他の選手にとっても非常に大きなこと。
川又堅碁や齋藤学にしても『テルがこれだけ頑張ってるのに、お前ら何してんの』っていう感じで見られがちでしたし、若い選手や下の世代はもっとそう。彼らを引っ張り上げ、気持ちを高めさせるという意味で、非常に素晴らしいプレーヤーだった」
指揮官から名前が挙がった齋藤も「沼津に練習参加した時、テルさんが普通にキツいメニューを若手と一緒にこなしているのを見て、『俺はもっと頑張らなきゃいけないんだな』と思えた。それがこのチームに入る一発目のきっかけでもあった」と明かす。
「練習試合をやっていても、今でも普通に45分で6キロくらい走っちゃう。それは本当に考えられないこと。僕は感覚的にも合うところがすごくあったので、テルさんと一緒にプレーするのは楽しかった。持ってるセンスや技術は本当に秀でていましたね。テルさんが45とか48の時にここに来ていたら、もう少し長く一緒にプレーできていたかもしれないですけど、この1年間、同じチームでやれたことは財産になりました」と、34歳のドリブラーは新たな活力をもらったようだ。
対戦相手の安永も「伊東選手の黄金期を知ってるわけじゃないけど、プロアスリートを50歳まで続けることがどれだけ凄いかは、同じ職業だからよく分かります。横浜FCでカズさん(三浦知良=鈴鹿)を見てきましたけど、長くプレーする人というのは、やっぱり素晴らしい人格だったり、サッカーに対する特別な時間のかけ方がある。本当にリスペクトしかないです」としみじみと語っていた。
多くの選手やファンを感動させた伊東。彼がここまでサッカーにこだわったのは、「サッカーは楽しい」という子ども時代からの喜びに突き動かされたから。セレモニーの最後に「みなさん、サッカーを楽しみましょう」と声をかけたが、それこそが自身の矜持に他ならなかった。
「僕が伝えたいのは、ホントにサッカーを楽しむこと。見るでもやるでも楽しみ方はいっぱいある。自分が周りの人に何を与えられたか分からないし、逆にパワーをもらいながら頑張ったけど、今日も心から楽しみたいなと思ってやりました」と、いかにも伊東らしい口ぶりでメッセージを残していた。
今後は全くの未定で、中山監督は「指導者の道を選ぶのか、カフェでサッカーを見続けるのか、そこは注目していきたい」と冗談交じりに語ったが、伊東にはサッカーの素晴らしさを伝え続けてほしいところ。50代の新たな人生のスタートの行方を興味深く見守りたいものである。
取材・文●元川悦子(フリーライター)
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