認めざるを得ないドイツ10年目の限界値。原口元気の葛藤「CLに出られなかったのは少し悔いが残りますけどね」【インタビュー1】

 最終盤を迎えている2024年J1。今季は優勝候補筆頭と目された浦和レッズは予期せぬ苦境に直面し、11月10日のサンフレッチェ広島戦で3-0の勝利を収め、やっとの思いでJ1残留を決めるに至った。

「僕らの目標は来年優勝すること。そのためには残り試合がすごく大事になる。今日みたいな試合を繰り返しできるようになれば、非常に良い手応えを掴んで来季に向かえると思う。少なくとも今日のベースを積み上げていきたいですね」

 この試合で勝利を決定づける3点目を挙げた原口元気は、少し厳しい表情を浮かべた。2014年4月の柏レイソル戦以来、10年7か月ぶりの浦和でのゴールを奪ったことには喜んだが、「こんなところで満足しているわけにはいかない」という強い危機感があるのも事実。彼は常に向上心に満ち溢れている男なのだ。

 その原口が古巣復帰を決断したのは3か月前。欧州への強いこだわりを口にしていた33歳のアタッカーは、なぜこのタイミングで帰国を決めたのか。ドイツでの10年間で何を学び、5つ目のクラブであるシュツットガルトでどんな壁にぶつかったのか。そして浦和で目ざすものは何なのか。今回、本人に数々の疑問をぶつける貴重な機会を得た。
 
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「2023年2月にシュツットガルトへ移籍して、3か月後の4月にセバスティアン・ヘーネス監督が就任。そこから試合に出られなくなりました。1年2か月も実戦から遠ざかるのは、僕自身のキャリアで初めて。チームは昨季のブンデスリーガ1部で、2位でフィニッシュしたし、素晴らしい監督だと僕も評価している。自分が過ごしたドイツ10年でおそらく一番強いチームだったけど、そこで使ってもらえなかったのは、10年の挑戦の限界値だったのかな…。それは認めざるを得ない事実ですね」

 インタビューの冒頭、原口は苦渋の表情を浮かべた。2014年夏にドイツへ赴いてからの10年間、ヘルタ・ベルリン、デュッセルドルフ、ハノーファー、ウニオン・ベルリン、そしてシュツットガルトの5クラブを渡り歩き、ヨーロッパリーグやカンファレンスリーグにも参戦したが、最後の最後にこれほど高い壁にぶつかるとは、本人も想像していなかっただろう。

「ヘーネスが求めていたのは、簡単に言うとコンビプレー。個人というよりも、どれだけつながりを持ってプレーできるかを重視していた。それは僕が今まで過ごしたドイツの他チームにはなかったこと。ある意味、『日本っぽい』と言えば、そうかもしれません。

 でも僕は大味なサッカーの方が合うタイプ。日本代表の(ヴァイッド・)ハリルホジッチにしろ、ウニオンの(ウルス・)フィッシャーにしてもそうだけど、強さや走力といったインテンシティの高さを評価されて使われることが多かった。

 だけど、本当に繊細なプレーをしろと言われた時に適応できない自分がいた。真ん中のポジションだとなおさらですね」と、原口はシュツットガルトで指揮官に使われなかった理由を冷静に客観視する。

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 もちろん1年以上もの間、手をこまねいていたわけではない。彼も虎視眈々とチャンスをうかがい、全力を尽くしていた。今年1月に欧州移籍市場が開いた時には別の環境に赴くことも考えたようだが、ちょうどこのタイミングはアジアカップやアフリカ・ネーションズカップの開催期間で、各国代表参戦者が不在の間に懸命にアピールして、定位置奪回を果たすという目論見もあったという。

「正直、冬の移籍も考えました。だけど、代理人も『夏の方が選択肢が増える』という意見だったし、実際にあるクラブが『夏だったら取るよ』と言ってくれたので、自分も半年待った方がいいと判断したんです。

 でも移籍というのはそう簡単に決まるもんじゃない。『あれ?』っていうことが多々起きて、ズルズルいってしまった。口約束というのは信じるもんじゃないですよね(苦笑)。

 それに昨季の後半戦も状況を変えられなかった。自分もいろいろトライしたけど、結局のところ難しかった。そうなると、30歳を過ぎて1年以上、試合に出ていない選手に対する評価は下がりますよね。口約束していたチームの考えも変わるし、どんどん状況は厳しくなっていきました」

 シュツットガルトを退団し、身の振り方に悩む原口はこの夏、移籍市場の厳しさを改めて再認識させられた。「欧州では30歳を超えると一気に状況が険しくなる」と言われる。それは本田圭佑や長友佑都(FC東京)、香川真司(C大阪)らも直面してきたことだが、20代だった時の原口は想像できなかったに違いない。

「今までの感覚だったら疑問を抱くようなクラブに、こっちからオファーをかけて、平気で断られましたね。『ああ、そういう年齢になってしまったのか』と痛感する日々でした(苦笑)。

 夏にはオカちゃん(岡崎慎司)が監督に就任したバサラ・マインツの練習に参加させてもらいましたけど、彼は『欧州でやれるならやった方がいい』というスタンス。日本に帰ることをプッシュされたわけでもなかったですね。

 僕自身もドイツ語圏のスイスとかオーストリアもいいかなと思って、実際にアクションも起こしましたけど、いざ行くとなるといろいろ難しさもあった。

 そんな時、浦和から『戻ってきてほしい』と言われたんです。自分にとって何が一番、ワクワクするチャレンジなのかを考えた時、レッズに行くことだと強く思った。『ここで帰らなかったら、もう可能性はないかもしれない』という気持ちもあったし、前向きに新たなスタートを切れるという確信もあって、今に至るという形です」と、原口は揺れ動いた2024年を神妙な面持ちで述懐する。
 
 こうして原口のドイツ挑戦は一応の終止符が打たれたわけだが、世界屈指のサッカー大国で10年間、戦い続けられたのは、本当に価値があることだ。原口を上回る長いキャリアを過ごした日本人選手は長谷部誠ただ1人。香川もドイツでは7年だったし、大迫勇也(神戸)も9年、酒井高徳(神戸)も8年で帰国を選んでいる。

「終わり方はそんな感じでしたけど、僕自身はあれだけ競争力の高いリーグで10年できたことを前向きに捉えています。本当に粘り強く戦ったということなので。CLに出られなかったのは少し悔いが残りますけどね。ウニオンに残っていても、シュツットガルトに残れたとしてもチャンスはあったわけで、本当にあと一歩だったから(苦笑)。悔しさと評価できる部分が入り混じった感情があります」

 複雑な胸中を吐露する原口。壮絶だった異国での日々を反芻しつつ、彼はJリーグで新たな選手像を築こうとしている。

※第1回終了(全3回)

取材・文●元川悦子(フリーライター)

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