人気エッセイストの燃え殻さんがBRUTUS.jpで連載していたエッセイシリーズ、『明けないで夜』。ストレスフルな日常生活を送る人たちの心を癒す睡眠導入エッセイとして人気を博し、この度書籍化された。
本記事では書籍より、都会の夕焼けについて書かれた章から一部抜粋してお届けする。
すこし疲れた都会が好きだ
夕暮れは都会のほうが美しいと思う。僕は六本木の夕暮れが好きだ。バーやレストランに、ぽつぽつと明かりが灯り始め、夜を待ちわびていた人々が、街にすこしずつ増えていく時間。
ビルに映り込んだ夕日、ゆったり走るタクシー。仕込みを終えた中華料理屋の店主が、裏口で煙草を燻らせる。1日を折り返して、すこし疲れた大人たちが行き交う、すこし疲れた都会が好きだ。
六本木で打ち合わせが終わって、時計を確認すると午後5時をすこし回ったところだった。朝から仕事が重なり、ランチを食べることをすっかり忘れていた僕は、すこし疲れていた。コンビニでテキトーにサンドイッチと缶コーヒーを買って、公園のベンチに座る。
次の打ち合わせまではあと45分。六本木で店に入ってゆっくりするほどの時間がないとき、僕は公園のベンチで食事を済ますことにしている。
行きつけの公園は、六本木にしては広い敷地面積だが、だいたいベンチには誰も座っていない。背の高いビル群と、昔からある古い住宅街の間にあるエアポケットのような場所。正式名称を「六本木西公園」という。
昔はもっとそっけない、元も子もないただの公園だったが、いつしかきれいに整備され、都会的な公園に生まれ変わった。僕は20年とちょっと前、その公園のすぐ近くにあった雑居ビルで働いていた。
その頃も昼休みになると、だいたいコンビニでテキトーに弁当を買って、公園のベンチに座り、ぼんやりしながら食事をとることが多かった。昼も夜も休みもほとんどない毎日。「将来どうなるんだろう?」と日々ベンチに座りながら考えていたのが懐かしい。
その頃、よく公園の草花に、水をやっているおばあさんがいた。何度か話しかけられたこともある。「どこの人?」とおばあさんが訊いてきて、「そこのビルで働いているんです」と答えると、「へえ。こうやって緑に触れる時間も作らないとだめよ」と微笑みながら教えてくれたのを憶えている。
あれから二十数年経って、僕は同じ公園のベンチに座りながら、いくつかの原稿の締め切りを調整しつつ、「一体将来どうなるんだろう?」とあの頃と同じ悩みを抱えている。
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それでも変わらない景色
誰かが、「人生に孤独はマストです」と言っていた。谷川俊太郎だったと思う。ならばもう一つ、人生には悩みもまたマストだ。いや、マストだと考えておいたほうが先に進める。それがたとえムーンウォークだとしても、僕たちは先に進んでいくしかない。
昔、この公園で休憩をしていたとき、威勢のいい声が聞こえ、顔を上げると、某有名カメラマンが某有名作家を写真撮影している真っ最中だったことがある。
ふたりの周りにはスタッフが大勢いた。某作家は公園の生垣に横たわってポーズを決めてみせる。「いいねえ、セクシー!」、「お~、もっといいねえ!」某カメラマンの合いの手が止まらない。
歩きながらどんどんポーズを変えていく某作家と、野生動物でも撮影するかのごとく、一瞬も逃すまいと食い下がる某カメラマン。
絡まり合うように撮影しながら、ふたりはどんどん僕の座っているベンチのほうに近づいてきた。僕はコンビニ弁当を持って、ベンチから立ち上がり、抜き足差し足、移動しようとした。すると某カメラマンが、「君!そのまま入っちゃおう!いいねえ~」といい加減な檄を飛ばす。
コンビニ弁当を持ったまま立ち尽くす僕と、そんな僕に絡みつくようにしてポーズを決めまくる某作家。「いいよ。よし!よし、もう一枚!よし!」とシャッター音は止まらない。
結局そのまま、撮影隊は僕を置き去りにして、公園を出て行った。あとから会社の人に聞いたところ、近くに有名な写真スタジオがあることがわかった。撮影隊のスタッフのひとりが、「写真を後ほどお送りしますので、ご住所いいですか?」と親切に聞いてくれて、用紙に住所、氏名、年齢、電話番号まで書いたが、写真は結局一枚も送られてこなかった。
六本木西公園のベンチに座りながら、あの頃のことをしばし思い出していた。気づくと次の打ち合わせの時間が迫っている。僕が荷物をまとめ、ベンチから立とうとしたとき、すぐ近くの草花に水をやっているおばあさんがいることに気づく。
まさか、と思うまでもなく、あのときのおばあさんだ。向こうが覚えているわけもないので、気安く話しかけることはできない。おばあさんは少し左足が不自由そうだったが、あの頃とまったく変わらぬ様子で、慣れた感じで水をやっている。
夕闇の公園にどこかの店から、焼き魚のいい匂いが微かに漂ってきた。バーやレストランに、ぽつぽつと明かりが灯り始め、夜を待ちわびていた人々が、街にすこしずつ増えていく時間。ビルに映り込んだ夕日が美しい。
あのときの某カメラマンは、現在ガンを患っているとネットニュースに出ていた。ポーズを決めていた某作家は、数年前にこの世を去った。公園を出る手前でもう一度、おばあさんのほうを振り返ると、僕の座っていたベンチに座り、一服している最中だった。夕暮れは都会のほうが美しいと思う。すこし疲れた都会が好きだ。劇的に変わっていく街で、それでも変わらない景色を眺めているのが好きだ。