“ガラスの大器”オーデンが選手生命が断たれた大ケガを回想「膝蓋骨が真っ二つに折れた時を今も覚えてる」<DUNKSHOOT>

 2007年のドラフト全体1位指名でNBA入りしながら、実働わずか3年で姿を消したグレッグ・オーデンは、今やドラフト失敗例の代表格として挙げられている。そんな“ガラスの大器”が、悲劇に見舞われた現役時代を振り返った。

 1988年1月22日生まれのオーデンは、12歳の頃にマイク・コンリー(ミネソタ・ティンバーウルブズ)と出会うと、ローレンスノース高校で強力コンビを結成してチームを牽引。2004年からの3年間で103勝7敗の圧倒的な成績を残して3年連続でインディアナ州チャンピオンに輝き、瞬く間にNBAスカウトも注目する存在となった。

 進学したオハイオ州大では1年生ながら先発センターとして平均15.7点、9.6リバウンド、3.28ブロックをマーク。その才能は“世代に1人”とまで言われ、アーリーエントリーした2007年のNBAドラフトでは、のちにスーパースターとなるケビン・デュラント(フェニックス・サンズ)よりも高い、全体1位でポートランド・トレイルブレイザーズから指名を受けた。
  4年総額2200万ドル(現在のレートで約33億3000万円)の大型契約を結び、ブランドン・ロイとともにチームの中心選手となるはずだった。しかし、開幕前に右ヒザ関節の軟骨に損傷があることが判明。急遽マイクロフラクチャー手術(軟骨に小さい穴を開けて出血させて治癒を促す)を受け、結局ルーキーイヤーは全休を余儀なくされた。

 実質1年目となった2008-09シーズンは開幕戦に先発するも、再びヒザの故障に苦しみ、61試合の出場で平均8.9点、7.0リバウンド、1.1ブロック止まり。続く2009-10シーズンは2009年12月に左ヒザの膝蓋骨を骨折し、残りのシーズンを棒に振る。2010-11シーズンも全休となり、そのまま復帰の目途が立たず。最終的に受けた手術は、マイクロフラクチャー3回を含む計7度。そして2012年3月15日、ついにブレイザーズから解雇された。

 オーデンは元NBA選手のギルバート・アリナスがホストを務めるポッドキャスト番組『Gil’s Arena』に出演。2009年12月、ヒューストン・ロケッツ戦の第1クォーターにアーロン・ブルックスのドライブを止めようとしたところ、コートに倒れ込み、膝蓋骨を骨折した左ヒザを抱えて表情をゆがめたシーンを「アーロン・ブルックスをブロックしようとした。彼に(ヒザを)蹴られたと思った」と回想した。
 「僕は、プレーしていた時は支配的だったのは事実だ。運動能力、走力、強さ、シャック(シャキール・オニール/元ロサンゼルス・レイカーズほか)やヤオ(ミン/元ロケッツ)のような選手を守れるのは、僕にとってプラスだった。もう少しでその域に辿り着ける気がしていたけど、健康をキープできなかった。膝蓋(しつがい)骨が真っ二つに折れた時のことは今でも覚えている」

 3年間のブランクを経て2013-14シーズンにマイアミ・ヒートと契約するも、23試合の出場で平均2.9点、2.3リバウンドにとどまり、シーズン終了後に解雇。実働わずか3年、通算105試合に出場し平均8.0点、6.2リバウンドという寂しいキャリアスタッツでNBAの舞台から姿を消した。
  オーデンのキャリアラストイヤー、所属していたヒートはレブロン・ジェームズ(現レイカーズ)、ドゥエイン・ウェイド、クリス・ボッシュのビッグ3を擁してNBAファイナルに出場するも、サンアントニオ・スパーズにシリーズ1勝4敗でタイトル逸。オーデンは「マイアミで(優勝)リングがほしかったけど、スパーズが勝った」と悔しさをにじませた。

 オーデンがケガをせずにキャリアを過ごせていたら——。また違った歴史がNBAに刻まれていたかもしれない。

構成●ダンクシュート編集部

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