広岡達朗が巨人・坂本勇人に勧告「ファンに惜しまれながらグラウンドを去れ」対照的だった王貞治の引き際の美学

読売巨人ジャイアンツ・坂本勇人内野手(35)が26日の契約更改で、1億円減となる推定年棒5億円の単年契約でサインした。2011年オフ以来、13年ぶりのダウン提示にSNSでもさまざまな反応が見られる。球界OBの広岡達朗氏はかねてから坂本に対して「このままでは選手寿命を縮めるぞ」と指摘してきたが…。『阿部巨人は本当に強いのか 日本球界への遺言』 (朝日新聞出版)より一部抜粋・再構成してお届けする。

ベテラン坂本の誤算

阿部新監督の一番の誤算は坂本勇人だろう。

坂本は原監督最後の2023年は116試合に出場し、リーグ7位の打率.288、22本塁打でクリーンナップの一角を守ったが、ケガや体調不良で欠場が多く、打席数455は規定打席スレスレ。不動だったショートのポジションも、リーグ終盤に天才的な守備で頭角を現した新人の門脇誠に奪われ、プロ17年目で初めてとなる三塁でシーズンを終えた。

この年の坂本は、6月の試合で右足の肉離れのために戦列を離れ、1か月後には一軍に復帰したものの、9月には体調不良のため一軍の登録を抹消された。このときは3試合休んだだけで復帰したが、14年ぶりに打順7番を経験した。

2024年は開幕戦を5番・サードで迎えたが、36 歳になるプロ18年目は攻守に精彩を欠いた。私は巨人でショートを守っていたからわかるが、内野で一番難しいのは一塁手だ。みんな一塁は誰でもできると思って、捕手や外野手など、打力のある選手を一時的に一塁で使っているが、試合で打球や送球をたくさん処理するのは一塁だ。

それだけではない。一塁はバントの処理やサインプレーを熟知してフォーメーションの要になる司令塔であり、私の知る限り、プロ野球で一番うまい一塁手は巨人の王貞治だった。

ついでにいえば、内野で一塁の次に難しいのは、併殺などで逆方向の捕球や送球の多いセカンドで、次がショート。来た球をさばくだけでいいサードが一番やさしいポジションだから、坂本にとっては最も楽な場所だろう。

それでも開幕から5番を任されていた坂本はバッティングの調子が上がらず、阿部新監督は「リフレッシュして、体と心と技術を見直してほしい」と6月26日、坂本の一軍の選手登録を抹消した。坂本は二軍でランニングに汗をかき、バットを振り込み、試合前の練習でもサードでノックを受け、打撃練習に励んだという。

二軍戦にも3試合に出場して、7月12日、およそ2週間ぶりに一軍の出場選手に登録された。しかし一軍は、3番が新外国人のヘルナンデス、4番は岡本、5番にはバッティングの調子を取り戻した大城が定着し、クリーンナップに坂本の戻るイスはなかった。

(広告の後にも続きます)

2年前から繰り返された戦線離脱 

先述のように、前年は116試合に出場し、打率.288で4年ぶりに2ケタ本塁打を放ったのに、2024年は打率.225、4本塁打で前半戦を終えた。しかも勝負強さと粘り強さを示す得点圏打率は前年.258だったのが、今季はチャンスの凡退も多く、前半戦で.164だった。

なかでも出場数は6月が12試合、7月は9試合と夏場に向かって激減し、打率も5月の.286から6月は.159、7月は.167と急降下した。岡本と並ぶ得点源で、巨人で年俸6億円の坂本がこれでは、阿部が前半戦で「打てない、点が入らない」とぼやいたのも当然だった。

坂本がケガや体調不良以外で登録抹消されて二軍調整したのは、ルーキーイヤーの2007年以来17年ぶりだという。

私も坂本に何度も警告してきた。2022年の著書でも、「坂本勇人の相次ぐ故障は練習不足と体力減退が原因」と書いた。

私の坂本に対する評価が厳しいのは、遊撃手として基本ができていないからだ。
「打球が来る前にしっかり準備ができているかどうか」を見ればわかる。
(中略)
人間は楽をすれば手を抜いて限りなく楽をし、逆に厳しい環境ではそれに対応できる人間になれる。
坂本も捕れる球は一生懸命捕るが、捕れないと思ったら追いかける格好だけでヒットにするから記録上のエラーは少ない。なぜ簡単にあきらめず、球際まで追いかけて正面で捕る努力をしないのか。そうすれば守備範囲はもっと広くなる。逆に手を抜いて三遊間を逆シングルで楽にさばく習慣がつけば、知らない間に守備範囲は狭くなる。
(中略)
私が坂本に厳しいのは、もっとうまくなって球史に残る名ショートになってほしいからだ。彼には、それだけの素質と可能性がある。

(『巨人が勝てない7つの理由』幻冬舎)

 ケガによる戦線離脱もいまに始まったことではない。2022年、プロ入り16年目を迎えて34歳になった坂本はケガが相次ぎ、前半戦だけで3度戦列を離脱した。左内腹斜筋損傷で入団1年目以来の開幕二軍スタートとなった坂本は、4月の阪神戦で二遊間のゴロを追って右ひざ内側側副靱帯損傷で40日間離脱。戦列復帰から1か月後の7月には腰痛で戦列を離れ、ファン投票で遊撃手1位だったオールスター戦も仙腸関節炎で辞退した。

結局、巨人が5連敗で5位まで転落した同年7月の坂本は5試合に出場。オールスター戦までの前半戦は全96試合のうち49試合に出場しただけだった。

その前年までほとんど100試合以上に出場していた坂本の出場試合は83試合に終わり、巨人は2017年以来5年ぶりの4位、Bクラスになって原巨人の沈没が始まった。

そして阿部新監督で4年ぶりのリーグ優勝を勝ち取った2024年も、109試合に出場して打率.238、7本塁打、34打点に終わった。打率は入団以来最低で、打点も一軍の試合に出るようになった2年目以降では2022年の33に次いでワースト2。月別打率は8月.265、9月.250と回復傾向を見せたが、かつてはチャンスに一発で試合を決めた勝負強さは影をひそめ、得点圏打率も.212に終わった。

もちろん巨人の低迷は坂本だけの責任ではない。だが私に言わせれば、坂本の相次ぐ負傷欠場は、キャンプ以来の練習不足と加齢による体力の減退が原因だった。