今年もクマに翻弄された日本列島。ひとたび出会えば大怪我や死につながることもある動物だが、秋田県の阿仁(あに)エリアにはクマを「授かり物」と考えて尊ぶ狩猟集団がいる。広島から移住した益田光さん(30歳)は、シカリと呼ばれる頭領のもとで修行に励む「阿仁マタギ」だ。人気漫画『ゴールデンカムイ』にも登場し話題を集めたが、令和のマタギの暮らしとは一体どんなものなのか。
クジラ級の巨大クマに遭遇、顔面叩かれる事故も…
「お約束の時間を変更できませんか?」──取材前夜、益田さんから連絡が入った。ツキノワグマの足跡が見つかり、急きょ早朝から探しに出ることになったという。クマの発見には至らなかったが、午後になって益田さんが現場を案内してくれた。
「ようやく雪が積もってクマの足跡がわかるようになりました。ベテランマタギたちも『早く山さ行こ』と満面の笑みです」(益田さん、以下同)
マタギの猟には集団で行う「巻き狩り」と、単独ないしは数名で行う「忍び」がある。巻き狩りでは勢子(せこ)が声を出しながらクマを追い立て、山の上で待ち構えているマツバが銃を撃つ。移住からほどなく、益田さんにもクマを仕留める機会が訪れた。
「僕はもっぱら勢子なんですが、この日はマツバをやってみろと、一番いい位置につけてもらったんです。そうしたらクジラみたいに大きなクマが飛び出してきて…!でもそれは逃してしまい、2頭目に出てきたのを授かりました。もう夢中でしたよ。失敗したら全員の1日を棒に振ってしまうわけですから。役目を果たせたという安堵感が強かったです」
クマを獲ることを、マタギは「授かる」と言う。足跡などの痕跡を探して尾根や谷底、ときには沢の中を進む。
「一度、沢沿いの斜面を40mも滑落したことがあります。途中でつかまって奇跡的に無傷だったんですが、もう少し落ちていたら岩場だった。近年は阿仁マタギの事故はありませんが、昔はクマに顔を叩かれたりしたこともあったそうです。
僕は山が怖くないと思ったことは一度もありません。今日だって心臓バックバクでしたよ。足跡が新しくなるにつれて、緊張感、恐怖、高揚感、期待…いろいろな感情がせめぎ合います。
獲ったクマはケボカイという儀式で魂を山に返してから解体します。初めての解体は、どうすれば上手くできるか、という気持ちだけでした。命をいただく現場に初めて触れて狩猟に興味をもったという話もよく聞きますが、僕は『別に肉が欲しければスーパーで買えばいいじゃん』と思っている方ですから(笑)」
そう話す益田さんには、マタギを特別に神聖視するような気負いはなく、若い世代らしい合理的な考え方が伝わってくる。
(広告の後にも続きます)
山では女性の話、鼻唄、アクセサリー着用NG、「マタギ」の独自戒律
シカリのもと、戒律を守って集団で猟をするのもマタギの特徴だ。
「たとえば山で女性の話をしてはいけません。アクセサリーの着用や鼻唄もだめです。昔はもっと厳しくて、猟の前には酒を絶つとか、女性と寝てはいけないというのもあったそうです。阿仁マタギは山の神を信仰していて、それが嫉妬深い女性だからだと伝わっています。でも僕が思うに『山に入ったらそれくらい集中しなきゃいけない』という意味だと。
他にも、昔は『マタギ言葉』があって、里の言葉とは明確に区別したそうです。今は標準語ですが、クマのいるエリアに近づいたらむやみに口をきかないというのは守られています。秋田犬のイメージがありますが、クマ猟に連れて行く人は誰もいませんよ。クマのほうが逃げてしまいますから」
マタギ修行には決まったカリキュラムがあるわけではない。狩猟免許をとって地域に住み、仲間として猟をやるなら誰でもマタギだとシカリは言う。
「地域のつながりはとても強いです。猟には普段の人間関係がそのまま出ます。たとえば巻き狩りでは一応無線機は持つんですが、両隣の尾根を歩いている勢子の姿は見えないことがほとんどです。あの人のペースはこれくらい、こういうクセがある、ということを理解して、阿吽の呼吸ができていくんですね」
取材の最中も次々と顔見知りに出会う。山深い地域ゆえに、自然と助け合いの精神が発達したのだろうと益田さんは想像する。
「獲物を平等に分ける『マタギ勘定』の文化は、今でもかなり厳密に残っています。赤身が多いとか脂身が多いとかの不平等を避けるため、肉はブロック状に細かくカットします。秤に載せて、100gでも違えば調整します。この場では上下関係はありません。クマという貴重な資源をみんなで授かったという考え方です」