【東京・国立市発】日本大学を卒業後、産官学にわたる実に多くの大学院や研究所を渡り歩いてきた清水氏。元々はトップアスリートとして大学に進学したが、その後、異色の経歴をたどって経済学者としての道を極めていく。氏を一橋大学そして経済学の世界に誘ったのは何だったのか。その経緯をうかがった。
(本紙主幹・奥田芳恵)
2024. 11.1/東京都国立市の一橋大学国立キャンパスにて
●アスリートとして活躍 大学から引く手あまた
芳恵 日大を卒業して一橋大学の教授になられた、というご経歴に少し驚きました。
清水 はい。でも実は私、元はアスリートだったんですよ。
芳恵 えっ?何をやっておられたのですか?
清水 中高とテニスをやっていました。高校1年生のときはドイツに派遣していただいたり、インターハイや国体などの全国大会で、そこそこの成績を残したりして。高校が岐阜県立大垣北高等学校という地元では進学校だったこともあり、高校3年の秋には、日大、明治、慶應、早稲田、同志社といった私学だけでなく、高校最後のインターハイが金沢だったご縁で、大会中に金沢大学からも誘いがかかりました。その中で、高校生のときに練習相手となっていただいた実業団の方が日大出身でした。日大には、金森義雄先生という名物監督がいらっしゃいました。金森監督の下でテニスをしたいという思いで日大に進学しました。
芳恵 日大を選んだ理由は分かりましたが、データサイエンスとは程遠い気がします…。
清水 大学に入ってすぐに、肘の故障が悪化しまして。そのためテニス部を退部し、学業に専念していくことになりました。その時に、東京大学で経済学部長を務められ、日本で最初に計量経済学を教えられた中村貢先生にご指導いただくことになり、これがデータサイエンス研究の出発点となりました。でも、計量経済学を勉強しようなどといった高尚な選択ではなく、たまたま中村先生の指導を受けることになったのです。
芳恵 と言いますと?
清水 日大では2年生からゼミに所属するのですが、アスリートは遠征などもあるため、講義を休みがちです。教員になって分かるのですが、そういう来るか来ないかわからないような学生は指導しづらい。同時に文系の学生にとって「計量経済学」は人気がありません。特に来られたばかりの先生の場合、先生のお人柄もわからないし、東大の偉い先生が数学を教えるとなると、最初は敬遠してしまうんです。でも教務課長から、「あなたは中村先生に引き受けてもらうことになりました。ほかに入れるゼミはありません」と言われて…(笑)。
芳恵 ゼミ生は清水さんだけ?
清水 そうです。普通のゼミなら所属の学生が持ち回りで、数週間に一度の発表というのが普通ですが、ここでは中村先生と私だけなので、毎回、私が報告するしかないのです。マクロ経済学と計量経済学の専門書を先生と毎週輪読していきました。でも、随分と計量経済学・統計学・確率論を基礎から鍛えていただくことができました。
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●データの力で物価指数を再構築する
芳恵 今はどんな研究をされていますか。
清水 広い意味での「経済測定」です。中でも民間が持っているビッグデータを用いて「価格指数」の新しい推計法を開発したり、実際に作成したりするといった研究です。例えば、消費者物価というのは本来、それを消費することで人がどれほど幸せを感じることができるのか、効用を得ることができるのかを測定するものです。このうち住宅は25~30%を占めます。そのため、住宅の測定から始めました。いま都心の住宅価格は海外マネーが流れ込んで高騰していて、本来の「消費による効用」とはかけ離れつつあります。そのメカニズムの解明も研究の対象です。
消費者にとって消費の選択肢の多さは幸せにつながります。食べ物の種類や、遊びに行く場所の選択肢はやはり都市ほど多い。お米を買う場合、ビッグデータを見ると、東京では218品種出回っているけれど鳥取では26品種、私の地元の岐阜だと56品種ということがわかりました。すると、たくさんの選択肢の中から最適なお米を選ぶことができる東京が一番幸せだということになります。
また、ラスパイレスやパーシェといった物価指数の基礎が構築された時代には、携帯電話などのデジタル財は存在していませんでした。でも現代ではデジタル財は人に大きな幸福をもたらします。その価値をどう測るか。そのような研究もしています。
芳恵 なるほど、「物価指数」というのは社会の実態をより正しく反映すべきということですね。
清水 その通りです。