●「あなたは天才たちの論を証明するコマになりなさい」
芳恵 テニスから勉強へ、すぐ切り替えはできたのでしょうか。
清水 アスリートとしての寿命はいつか終わりを迎えるということは頭ではわかっていました。しかし、けがをしたときには、こんなにも早く終わってしまうのか、と思いました。当時はスポーツ部に所属している選手が退部するということは、大学を退学するということでした。スポーツ推薦で入ってくるわけですから、それが当たり前でした。私は、推薦で日大に進学しようとしたときに、当時のテニス部の監督から、スポーツ推薦ではなく受験して日大に行くようにと言われていて。日体大出身で、インカレでも活躍された監督は、私がけがをしてテニスができなくなる可能性を予見していらしたのだと思います。
父の存在も大きかった。テニスをやめることになったときに、父が「これまでは真面目に勉強したことがなかっただろう。だったら社会人になる前に勉強をやったらどうだ?」と言ってくれました。それで社会に出る前の最後の時間で勉強を一生懸命やってみようと思ったんです。気が付けば、学部を卒業する時には成績優秀者に送られる優秀賞と同窓会会長賞をいただくことになりました。そして日大の先生方の推薦もあって特別研究生試験を受け、特待生として学費免除、さらに月に5万円の研究費をいただけることになりましたので、そのまま日大の修士課程に進みました。ここで、研究者になる意志を強く持ちました。
芳恵 その後、多くの大学や研究所を渡り歩いておられます。
清水 日大での修士2年目のときに父の勤め先が倒産しました。そのため就職も考えたのですが、父は「自力で通えるなら頑張れ。こちらは心配はいらない」と言ってくれたのです。そのため、研究者になるという志を変えずに、大学院の博士課程への進学を決めました。同時に中村先生の助言もありました。博士課程を目指したときに、中村先生から「君は日大ではチヤホヤされているかもしれないけど、日大の外に出たら秀才でも天才でもないんだから、今のままでは研究者としては大成できないよ」と言われたのです。そして、今の経済学の主流は理論だけど、データで実証していく時代が必ず来る。特に大きなデータを扱うことができる研究者はほとんどいない。これからの経済学の世界では、実証研究が主流になっていくから、プログラミングを勉強しなさい。そして、実証ができて多くの先生にかわいがっていただけるような研究者になりなさい。博士課程に進むなら、その力をつけられる大学院を選びなさい、と。
芳恵 ずいぶんとシビアな言葉ですね。
清水 でもそのおかげで道が開けていったのも事実です。当時、プログラミングを学ぶといえば、計算機センターが充実し、コンピューターサイエンスで多くの優秀な研究者がいた東工大が良いだろうということになります。そして、生まれて初めて本気で受験勉強をすることになったわけです。
芳恵 次回は、その後の経緯についてお聞かせください。(つづく)
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●師匠にも多くの指摘「言いたいことは言うほうなので」。
人生の転機となった宝物だと清水氏が語るのは、ブリティッシュコロンビア大学時代に恩師となったErwin W. Diewert氏が著した「レクチャーノート」。難しいことで有名な分厚い教材だが、清水氏はそこに数式の間違いを頻繁に見つけては講義のたびに指摘し続けた。Diewert氏からは「30年間、信頼して使ってきた教材なのに、間違いを指摘してきたのは君だけだよ」と、あきれとも称賛とも取れるため息が聞こえたそうだ。
心にく人生の匠たち
「千人回峰」というタイトルは、比叡山の峰々を千日かけて駆け巡り、悟りを開く天台宗の荒行「千日回峰」から拝借したものです。千人の方々とお会いして、その哲学・行動の深淵に触れたいと願い、この連載を続けています。
「人ありて我あり」は、私の座右の銘です。人は夢と希望がある限り、前に進むことができると考えています。中学生の頃から私を捕らえて放さないテーマ「人とはなんぞや」を掲げながら「千人回峰」に臨み、千通りの「人とはなんぞや」がみえたとき、「人ありて我あり」の「人」が私のなかでさらに昇華されるのではないか、と考えています。
奥田喜久男(週刊BCN 創刊編集長)
<1000分の第362回(上)>
※編注:文中に登場する企業名は敬称を省略しました。