『DNA 10th Anniversary』が28日、東京・新宿FACEで行われ、メインイベントで上野勇希がチリからの留学生だったディエゴ(旧名・ワンチューロ)に快勝。「過去があって今がある。またみんなで集まりましょう」と次回大会を見据えた。
DNAは若い力が主人公となるプロジェクトとして、2014年11月28日に北沢タウンホールで旗揚げ。2018年8月10日の休止まで約4年間活動した。DDTに残った選手では欠場中の樋口和貞、吉村直巳、勝俣瞬馬、上野、MAO、飯野雄貴がDNAで育ち、DDTから離れた選手では岩崎孝樹、梅田公太、渡瀬瑞基、チェック島谷、中津良太、神野聖人、ディエゴらを輩出した。
この日、DNA10周年記念大会が開催された。当初、メインイベントで上野と勝俣が一騎打ちを行う予定だったが、勝俣が負傷欠場。勝俣の“アミーゴ”であるディエゴが戦友の思いを背負って出陣した。
勝俣がセコンドで見守る中、上野がドロップキック、プランチャなどの空中殺法で先制。ディエゴが場外戦を望むと上野も受けて立ち、ラリアット合戦を展開。ディエゴがフロア上にブレーンバスターを決めた。リングに戻ると上野が反撃。背部へのフロッグスプラッシュ、スタンド式シャイニング・ウィザードと攻め込んだ。
上野のフロッグスプラッシュはディエゴがヒザで迎撃し、丸め込みを連発していく。エルボー合戦で火花を散らし、上野がブラックアウトスリーパーで捕らえたが、脱出したディエゴはクロス・フェースロックで応戦。上野がスリーパーを仕掛けても、再びクロス・フェースロックで絞め上げた。
さらにディエゴは勝俣の得意技アスタラビスタを敢行。パイルドライバーで追い討ちをかけたが、上野は2カウントでキックアウト。顔面へのドロップキックをぶち込むと、WRを決めて3カウントを奪った。
上野は2016年10月17日のDNA新宿大会でデビュー。原点であるDNAの記念大会、そしてデビューの地で勝利し、「メインイベントで戦えたことを誇りに思います。DDTに来た時、右も左もどころか歩き方も分からない僕を育ててくれたのはDNA」と話した上野は「寮生活をよきものにしてくれたのが、当時のワンチューロさん、今のディエゴさんです。8年前にシングルマッチして、今日は瞬馬君がケガをして、僕らがシングルマッチをすることになった。次は8年とは言いません。また日本に帰ってきたり、もしかしたら僕らがチリに行ったりして、次こそは勝俣瞬馬をボコボコにしましょう」とディエゴに再会を呼びかけた。
最後は元DNAの選手たちがリングに上がり、それぞれがDNAへの思いを語って大団円。バックステージで上野は「デビューした時、DNAという場所をいただいて。デビューした時なんて、プロレスのPの字も分からない。プロレスはリングだけじゃなく、みんなで支え合って、みんなで戦う。みんながみんなの場所で生き生きしてるのは、このDNAで培ってきたもののおかげ。過去があって今がある」と話し、「上野vs勝俣瞬馬をこのDNAのリングでやるまでは、瞬馬君、ケガから逃げることなんか許しません。またみんなで集まりましょう」と勝俣との仕切り直しと次回大会を見据えた。
また、セミファイナルではDNA旗揚げ戦でデビューし、10周年記念日となった梅田、中津、岩崎がトリオを結成し、DDTの新世代である中村圭吾&To-y&高鹿佑也と激突。中村組が先輩相手に大奮闘したが、最後は中村が梅田のハイキックを食って惜しくも敗れた。
【ディエゴの話】「負けましたけど、メインに立ってとてもうれしい。瞬馬の代わりにメインに出て、本当にうれしいです。僕はチリに帰ります。帰っても、みんなここ(心)にいます。チリに帰って、先生で頑張って、プロレスも頑張りたい。いつか会いましょう」
【勝俣の話】「上野さんとのシングルやったり、まだ夢はいっぱいある。夢がいっぱいあるってことは、まだまだプロレスラーとして生きていかなきゃいけない。DNAはプロレスで一つになってる。5年後か10年後か分かりませんが、DNAの記念大会で会いましょう」