兵庫県の出直し知事選で、再選された斎藤元彦知事(47)の陣営のSNS選挙公報を「仕事として行なった」とPR会社社長が詳細に告白した問題。事実なら公職選挙法違反にあたり、当選取り消しの可能性も出てくるため、斎藤氏は代理人に弁明の記者会見を開かせ否定に躍起だ。その中で、斎藤陣営のスタッフが集英社オンラインの取材に「脇の甘い候補に脇の甘いPR会社がくっついて起きた問題です」と話した。そう見えた陣営の内情とは――。
「斎藤陣営は素人集団だった」
前期の知事時代のパワハラや公金不正支出疑惑を背景に、兵庫県議会議員86人全員一致による不信任決議案の可決を受け失職と出直し選出馬を選択した斎藤氏は、失職から数時間後の9月30日早朝、JR須磨駅前で駅立ちを開始した。「一人ぼっちのスタート」をアピールして支持者を増やし、再選にこぎつけた。
だが、11月27日に記者会見した斎藤氏の代理人の奥見司弁護士によると、斎藤氏は駅立ち開始前日の9月29日に選挙参謀の男性を伴い、兵庫県西宮市のPR会社「merchu」を訪問している。
同社の代表取締役・折田楓氏(33)が公開したnoteによれば、斎藤氏はこの場で知事選でのSNS戦略について折田氏からプレゼンを受けている。
折田氏が公表したプレゼン資料では、10月1日から選挙当日の11月17日までが3つの期に分けられ、それぞれ「種まき」「育成」「収穫」との「SNS運用フェーズ」が設定されている。
「陣営は、プレゼンの翌朝から始まった斎藤氏の駅立ちをSNSで盛んに宣伝しました。要するに9月30日に駅立ちを始めた時から斎藤氏は『一人ぼっち』などではなく、駅立ち自体が“種まき”の一環だった可能性があります」(地元記者)
斎藤氏の当選は果たして折田氏が提案した“耕作”大作戦が奏功したものなのか。そして選挙後にもこのように重大疑惑で県の混乱が続くのはなぜなのか。斎藤氏が展開した選挙戦を振り返ってみたい。
「斎藤さんの選挙事務所は本当に素人集団でした」
こう話すのは、自身は幹部ではないとしながらもスタッフとして選挙を戦ったというCさん。完全匿名を条件に集英社オンラインの取材に応じた。
「私には見えていない部分も多くありますが…」
と前置きしたCさんだが、その証言は興味深い。
「斎藤さんの街頭演説のスケジュールを全部組んでいたのは、斎藤さんの中高時代の同級生で親友と言われたDさんです。他に、選挙初期は斎藤さんの弟さんもよく動いておられました。でも、責任者と言える人が誰もいなくて、各自がバラバラに得意分野をやっているという印象でした」
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同窓会の大規模LINEグループで人材を確保
神戸市須磨区の小学校を卒業した斎藤氏は、中高時代を愛媛県松山市の進学校ですごし、6年間寮生活をしている。その理由を本人は「なぜ松山に……と思われますが、じつは私立中学入試で第一志望であった(地元の)六甲中学校を受験したのですが……」とウェブサイトで明かしている。
「この学校(松山市の進学校)の同窓会に巨大なLINEのグループチャットがあり、斎藤さんも含め、1000人には届かなくてもそれに近い数百人のチャットメンバーがいるそうです。
ここにDさんが『斎藤の選挙を手伝ってくれ』と投稿し、これに応じた同窓生が集まって事務所が運営されていました」(Cさん)
そのように愛媛から加わった一人、Eさんは実際に、演説会でマイクを握って自分は愛媛から来た同窓生だと自己紹介し「中学時代から6年間、男ばかりの全寮制生活を送っているので少し変わった集団ではあります」という趣旨のあいさつもしたという。
「そういうわけで、3年前の斎藤さんの初当選時の、自民党や維新が支えた選挙とは対照的に、今回の事務所は素人の集まりからスタートしました。
途中から斎藤さんの情勢が有利になり、距離を置いていたあちこちの議員が寝返って斎藤さんにくっつき始め、口を出すようになりましたけど(笑)」(Cさん)
遠く愛媛から斎藤氏を助けようという校友がそれほど多くいたのだろうか。
「進学校だったので全国に散っているOBが来たみたいです。聞いていると、当時の斎藤さんはリーダーシップがあって目立っていたそうです。スポーツもできて、一目置かれる存在と言うか。今は封印していますけど、関西人なのでギャグも飛ばしていたんですって。
「そういうわけで知名度はあったみたいです。でも、選挙事務所で斎藤さんとタメ口で話していたのは親友のDさん含め2、3人だけだった気がします。『斎藤さんは昔会ったことはあるけど、その後ずっと会う関係にはなかった』という人も実際にいました」(Cさん)」