そんな熱心な母親に、完全にノータッチだった父親。
「父は仕事で忙しく、私は塾ばかりで、お互い顔を合わせる時間もなく、話もできませんでした。結局、送り迎えをしてくれる母との時間だけが増え、母はますます中学受験に躍起になっていきました。『何がなんでもA中学に合格して!』という思いがどんどん強くなっていったんです」
成績は常に上位で、志望校の合格判定もいい。それでも、玲奈さんの心はまったく休まらない。
「成績が下がれば、母に何を言われるかわからない。どんなに良い成績を取っても、受験は一回の勝負。今順調でも、落ちてしまえば意味はない。少しでもミスをしたら、すべてが終わる。
良い成績を取れば取るほど、本番まで維持しないといけないというプレッシャーが増えるばかりで、毎日『辛い…辛い…』と思って、ずっと落ち込んでいました」
そして小6の夏、玲奈さんは突然、味覚に異変を感じる。食べる物の味がしなくなり、食事がまったく喉を通らなくなったのだ。その状態がしばらく続き、気づけば身長147センチで体重は30キロを切っていた。
久しぶりに玲奈さんを見た親戚の男性が、慌てて玲奈さんの家にやってきた。
「『どう考えてもあの痩せ方はおかしい』と母に話をしてくれました。『受験で無理をさせているのではないか』『普通じゃないから、ちゃんと医師に診てもらったほうがいい』と指摘してくれたんです。そこで初めて病院に行きました」
病院での診断は摂食障害だった。
「鬱っぽい傾向も出ていたようで、しばらく病院に通いました。父と母が話し合い、塾に通うペースを落とすことになって、体調は少しずつ元に戻っていきました」
とある日、母親の実家に遊びに行った玲奈さんは、偶然、母親の学生時代の成績表を見つけた。
「母はとても成績が悪かったです。酷い言い方をすれば、賢くなかった。思わず、母に『自分は勉強できないのに、よく私に偉そうなことを言うね』と言ってしまいました。母は何も言い返しませんでした。
そのとき、母が私の成績を自慢げに言いふらしていた理由がわかった気がしました。自分ができなかったことを私でリベンジしようとしていたんだと気づいて、嫌悪感を抱きました」
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母親が他界、「自由になった…」と安堵
その後、玲奈さんは大きなトラブルや問題もなく、成績をキープしたままA中学に合格。A中学での生活はとても楽しく、充実した学校生活を送った。しかし、玲奈さんが高校生のころ、母親が病気で他界してしまう。
「当時はとても悲しくて、気持ちを整理するのに時間がかかりました。でも、気持ちが落ち着いたときに『自由になった…』と安心している自分がいることに気づいたんです。母は中学受験のときも勝手に志望校を決めていました。その後も『○○大学に行ったほうがいい』『教師になったほうがいい』と、私にずっと指示をしてきました。
母の価値観で私の人生が決められていく感覚があって。もし母があのまま生きていたら、自分で何も選べない人生を送っていたんじゃないかと思ったんです」
現在、玲奈さんは自ら志望した大学に進学し、やりたかった仕事にも就いて充実した毎日を送っている。父親との関係も良好だ。
「中学受験があまりにも苦しすぎて、大学受験も就職活動も仕事も『これくらいならいけるな』という感覚でした。勉強する習慣や学ぶ癖がついたという点では、中学受験に感謝しています」
しかし、その一方で、中学受験は玲奈さんの心に深い闇を落とし続けている。
「中学受験のとき、私もしんどかったのですが父も辛かったようで、当時のことは2人の間で『なかったこと』になっています。父といるときに昔の話をしても、中学受験やそのころの話題はいっさい出ません」
母親との思い出にも深い溝が残っている。
「私は運よく勉強ができたから、母の狂気の中でサバイブできたと思っています。でも、もし勉強が嫌いだったり、成績が思うように上がらなかったら…と考えるとぞっとします。心にも体にももっと深い傷を負っていたんじゃないかと思います」
母が他界したことすら、結果としてよかったのではないかと思う自分がいる――。玲奈さんは最後にそう呟く。中学受験で幼い心が抱いた違和感や痛みは、大人になった今でも色濃く残り続けている。
取材・文/大夏えい 集英社オンライン編集部