母親に「黙っていなさい」と言われ、自分を抑圧し続けた52歳の男性。アトピー性皮膚炎で変わり果てた自分の見た目を受け入れられず、24年近くひきこもった。予想もしなかった不運な出来事をきっかけに、40代半ばで「ひきこもりから脱しよう」と決意。51歳で社会復帰するまでの姿を追った――。(前後編の前編)
母親の気を引きたくて不登校に
野口哲也さん(52=仮名)は身長176センチで体重55キロ。スラッとした体形にぴったりしたベストとスリムなジーンズがよく似合う。
声は小さめだが礼儀正しく受け答えもしっかりとしていて、数年前まで24年近くひきこもっていたとは思えない。
それだけ長くひきこもった背景には何があるのかと聞くと、野口さんはゆっくり考えながら幼少期を振り返ってくれた。
「1歳上の兄は好き嫌いが激しく、モノに八つ当たりするとか衝動的な行動が多かったので、よく父に怒鳴られていました。学校でも兄は浮いた存在で、私は“○○の弟”と言われるのが嫌でした。
だから、常に親や周りの目を意識して、目立たないよう自分自身を抑圧するようになったんだと思います。
自分を表現する作文は苦手でしたが、理科の実験や観察、身体を動かすことは好きでした。ドッジボールではネズミのように逃げ回るだけで、一度もボールに触れることなく、最後の1人に残ることが多かったです。
危機回避能力がすぐれ過ぎて、ひきこもりにつながったのかもしれませんね」
野口さんが不登校を始めたのは小学6年のときだ。小学3年のころから父方の祖母が認知症で入院。母親は付き添いで週の半分は病院に寝泊まりしていた。
夜遅く帰宅する父親を待たずに、兄と2人で寝ていたが、野口さんは「寂しさから母親の気を引きたくて」仮病を使って学校を休んだのが始まりだ。
学校を休み、ひきこもる期間が長くなるにつれ、生後間もなく発症したアトピー性皮膚炎と喘息の症状がひどくなっていったという。
中学に進学しても不登校は続いた。勉強の遅れを心配した母親に小中学生向けの養護学級が付属する療養所を勧められ、中学2年の5月に東北地方の療養所に入院。
親元を離れて寂しかったが、“○○の弟”というレッテルから解放され、入院仲間とも仲よくなったそうだ。
「最初は方言に慣れなくてからかわれたりしましたが、小学校低学年の子にはなつかれ、6年生の女の子から生まれて初めてバレンタインデーにチョコレートをもらい、中学生の男子からは、いろいろ学びました(笑)。
人の輪の中にいると、周囲のいい面や悪い面が気になりますが、自分自身のいい面と悪い面にも気づかされました」
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アトピーが悪化し、ひきこもる
「高校は東京の学校へ」という両親の意向で中学3年の5月から実家に戻った。
だが、夜になると喘息の発作が出て眠れない。欠席を繰り返し、担任の勧めで始業時間の遅い4年制の高校に進んだ。
高校時代は若者向けのファッション誌より、『Newsweek日本版』を愛読。テレビのニュース番組などもよく観ていた。
「アトピー性皮膚炎に処方されるステロイドは有害」という報道が盛んにされるようになると、野口さんもステロイドへの不信感を持ち、皮膚科への通院をやめてしまう。
海外に魅力を感じて国際ビジネス科のある専門学校に進んだが、アトピーの症状はひどくなる一方で通学もままならなかった。
「あれ、昼間っからお酒飲んでるの?」
アトピーのせいで赤黒くなった顔を見た知り合いに勘違いされて、ショックを受けたことも。野口さんは専門学校を21歳で卒業すると、そのままひきこもってしまった。
「肌がボロボロで、ひどいときは血液じゃなくて、体液がダラダラと出ている状態で……。クラスメートからアトピーを理由にいじめられたことはありませんが、自分自身でアトピーを受け入れられず、引け目ばかり感じていました。
就活をする気にもなれなくて。もう、どうでもいいとあきらめていたというか、家から出たくなかった。
だって、街を歩いているとガラス窓とかに自分が映ったりするじゃないですか。それを見るたびに、嫌な気持ちになるんです」
ひきこもり始めてから、父親に何度か「お前はいくつになったんだ!」と叱られた。
だが、普段から「バカ」「うるさい」という衝動的で一方的な言葉しか口にしない父親とは、腹を割って話したことは一度もない。築50年の古いマンションなので、母親をなじる声は何度となく聞こえてきた。
「お前の育て方が悪いんだ!」
父親は地方の県立工業高校を出て、大手建設会社に入社。一流大卒の社員がほとんどの中、一級建築士の資格を取って設計部長にまでなった努力家だが、家庭内では独りよがりな父親だった。
地方から結婚を機に上京した専業主婦の母親は、そんな父親にべったり依存しており、野口さんは幼いころから母親に何度かこう言い聞かされたそうだ。
「お父さんに『出て行け』と言われたり、お父さんが亡くなったら、ここに住めなくなるし、生きていけないのよ。だから、あなたもお父さんに言いたいことがあっても我慢して。黙っていなさい」
父親と衝突することが多かった兄は、漫画やアニメが好きで、自分でもよく漫画を描いていた。才能をいかして専門学校を卒業後、デザイン事務所に就職して早々に家を出た。
野口さんがひきこもって間もないころ、兄に相談したことがあった。一言だけ返ってきた。
「それで、お前はどうしたいんだ?」
野口さんは「それがわからないから相談しているのに」と当時は不満に思ったが、今では何かに悩むたびに、兄の言葉を思い出している。