24年間ひきこもった52歳男性、生まれて初めての仕事で雇い止め宣告…それでも社会復帰を諦めなかったワケとは

幼いころから自分を抑圧し続け、アトピー性皮膚炎が悪化した自分の姿を受け入れられずに24年近くひきこった52歳の野口哲也さん(仮名)。「自分は何の役にも立たないゴミ」だと感じ、将来を考えることすら放棄していた。45歳のとき、思い切って小さな一歩を踏み出したことで、人生は思わぬ方向に向かう――。(前後編の後編)

入院生活で人生をやり直す

アトピーの治療のために通院した帰り道に転倒し、救急車で病院に運ばれた野口哲也さん(52=仮名)。

長いひきこもり生活で、初めて「やべえ!」と感じた瞬間だった。

「左膝蓋骨骨折」と診断され、搬送翌日に手術し、入院生活が始まった。担当の理学療法士はまだ若い青年。1日1時間のリハビリが終了する間際には、無邪気にこんなことを言う。

「僕は今夜、飲み会に行くんですよ~」

野口さんは内心「入院患者に言うか? こっちは飲みにも遊びにも行けないのに」と思いながら、彼との気楽な会話が入院生活で唯一の楽しみになった。

「彼は私とは真逆でチャラい(笑)。もし、彼が自分と似たような真面目な人だったら、そこまで馴染めなかったと思いますが、いつしか私も彼に本音を話せるようになったんです」

入院が3週間を過ぎたころ再手術になる。その手術部位が感染症を起こし、2か月ほど個室で過ごした。

淋しさを紛らわすため、窓際のカーテンを開けたまま寝る許可を得た。毎朝太陽の光を浴びていたら、長いひきこもり生活で乱れた体内時計をリセットできたという。

病棟を自由に動けるようになると談話室で東南アジア出身の男性患者と仲よくなった。

男性は老若男女問わず誰にでも気さくに話しかけるムードメーカー。その男性が退院すると病棟は灯りが消えたように静かになってしまった。

「僕はひきこもりの孤独な生活から一転、誰かに声が届くし、誰かの返事も聞こえる世界に半ば強制移住させられた訳ですが、歩くリハビリと相まって、赤ん坊に戻ったかのように、行動範囲が広がる。できることが増える。やりたいことが増える。人生をやり直しているような感覚が少なからずありました。

『入院中の恥はかき捨て』という考えもあり、私自身も他の方も退屈していると思うと、何かできないかなと。彼みたいに明るく話しかけることは難しいけど、あいさつなら僕でもできるかもと思ったんです。

テレビはお金がかかるので我慢し、その代わりに自主リハビリと称して、病棟の廊下を1日に何十往復もしていました。

廊下で会う患者さんや病院職員さん、すべての人に、『おはようございま~す』『こんにちは』と言ってみたら、みんなあいさつを返してくれて。それだけでも、うれしかったですね」

(広告の後にも続きます)

「やっぱ愛はね、人を救うんですよ(笑)」

野口さんは、さらに、思い切った行動をする。

仕事がていねいで真面目な30歳くらいの看護師が気になっており、その看護師が担当に就いた日、こう誘ったのだ。

「退院したら、○○さんと食事に行きたいなぁ。でも、食事に行く前にハローワークに行って仕事を探さないと……」

失敗してもいいように事前に“落ち”まで考えて口にしたのだが、当然のことながら返事はなかった。残念ではあったが、言えたことで満足もしたという。

「その看護師さんにほのかな恋心があった?」と聞くと、「ありますよ、それは」と言って野口さんは恥ずかしそうに笑う。

「病院は実家から近く、退院後もその看護師さんに限らず、職員の方たちと道端で会う可能性があります。会ったときに今のままじゃカッコ悪いというか、ちゃんと胸を張って会えるようになりたいなと思って。

それで、ひきこもりから脱する決意をしたんです。やっぱ愛はね、人を救うんですよ(笑)」