大勢の知らない人の夢のなかに、なぜか自分が登場していたら…。そんな異様な状況と、身に降りかかる幸運や恐怖を描いていく映画が、A24、アリ・アスター製作でおくる『ドリーム・シナリオ』(公開中)である。監督と脚本は、強烈な「承認欲求」がもたらす破滅を描く『シック・オブ・マイセルフ』(22)を手掛けた、ノルウェー出身のクリストファー・ボルグリ。今回はスター俳優ニコラス・ケイジを主演に迎え、やはり現代社会を風刺しながら、人間の心理の内面へと迫っていく。ここでは、そんな本作『ドリーム・シナリオ』の内容を解きほぐしながら、この作品がいったいなにを示したかったのかを明らかにしていきたい。
※本記事は、ネタバレ(ストーリーの核心に触れる記述)を含みます。未見の方はご注意ください。
■都市伝説、「ディスマン」にも似た物語
ケイジが演じる主人公は、妻や子どもと平凡に暮らしている大学教授のポール・マシューズ。とくに大きな問題を抱えているわけではないはずだが、いまいち地味で冴えない人物だとして周囲から扱われていることに不満を持っている。「もっと自分は評価されていいはずだ」、「大勢の人たちに注目されたい」という、満たされない想いにとらわれているのだ。
見ず知らずの人の夢のなかにも現れるようになり、一躍有名人となったポール / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
そんなとき、ポールは自分が複数の人々の夢のなかに現れていることを知らされる。やがて、それが自分を知る周囲の人ばかりではなく、自分のことをまったく知らないはずの大多数の夢にまで登場していることに気づくことになるのだ。この筋立ては、大勢の人々の夢のなかに謎の同一人物が現れるという、人為的に広められた都市伝説「ディスマン(この男)」に似ている。本作の特徴は、夢のなかに登場する人物側の視点で物語が進行するという点である。
■なぜ、平凡な大学教授が大勢の人の夢のなかに現れたのか
劇中では、大勢の人々の夢に共通したものが現れる事態について、「マンデラ効果なのではないか」と語られる。「マンデラ効果」という言葉は、南アフリカの元大統領ネルソン・マンデラが過去、反アパルトヘイト運動で投獄されていた時期に、「獄中で死亡していた」といった、事実に反する情報を、なぜか多くの人々が共有していた現象から生まれたものだ。日本でも、露出の少なくなった芸能人について「死亡説」が出回るといった、同様のシチュエーションが発生するのは周知の通りである。
この事態は、多くの人が拡散されたデマ情報(フェイクニュース)を信じ込み、荒唐無稽な「陰謀論」にはまってしまうという、最近の社会問題にも共通したものだ。それは、けして無害なものではない。実際にそういった人間の性質を利用して、投票行動を左右してしまう場合もあるのだから、現代社会にとって大きな脅威であることは間違いない。さらに本作は、そんな現象を、精神科医のユングが唱えた「集合的無意識」とも結びつけている。
とはいえ、大勢の夢に現れるポールは、それらの夢のなかで、とくに重要な役割を果たしているわけではない。夢の内容にはタッチせず、単に“そこにいるだけ”なのである。「夢の男」として有名な存在になって、内心浮かれ始めるポールだったが、その“毒にも薬にもならない”イメージについては、不満をおぼえるのだった。
夢のなかに登場するポールは無害、なはずだった… / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
■社会的地位の向上によってあらわになる、人間の有害な側面
人々の夢が悪夢に変わったことでバッシングを受け、教授としての立場に影響が / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
しかし、そのイメージは、悪いほうに変化することになる。ある日を境に、大勢の夢に現れるポールは、突如として暴力的になり、夢のなかできわめて加害的な行為をするようになったのである。そのことで、一躍有名人となっていた現実のポールは、恐れられ、憎まれる対象になっていくのだ。
なぜ、夢のなかのポールは有害な存在になったのだろうか。それは、ポール自身の行動が変化したからだと考えられる。彼は自身の研究を書籍にするためにPR会社と提携し、ポールを利用したいだけのスタッフのリップサービスを本気にして舞い上がってしまう。これまで大きな評価ともチヤホヤされる経験も希薄だった彼は、このような事態への免疫がまったくなかったのだ。そして、あろうことか会社の若い女性スタッフと不倫関係に陥りそうにまでなってしまう。
大勢の人の夢に現れる現象を利用した広告のために、PR会社に声を掛けられるが… / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
ここで理解できるのは、ポールという人物の人間性だ。彼は一見、善良そうに見える人物なのだが、有名になり社会的地位が高くなった途端に、「クソ野郎」のような行動をしてしまう。「地位や名声が人を狂わせてしまう」と言えば聞こえはいいのだが、実際には彼のなかにそういった「チャラい」性質や願望が備わっていたということなのだろう。これまで“そういった機会が巡ってこなかった”だけに過ぎないのだ。
デヴィッド・フィンチャー監督の『ソーシャル・ネットワーク』(10)では、主人公が、同様の指摘を受ける場面がある。「あなたはオタクだからモテないと思ってるんでしょ。言っておくけど、それは大間違い。性格がサイテーだからよ」…この実在の人物をモデルとした主人公が、まさに地位を得て、ごく親しい者にしか知られていなかった有害な部分が、影響力とともに顕在化していく流れは、本作のポールにも重ねられるところなのではないか。
■インターネット社会がゆえに、攻撃の標的となってしまったポール
そんなポールが、かつて妻が望んだように、バンド「トーキング・ヘッズ」が1983年におこなった伝説的ライブ「ストップ・メイキング・センス」において、デヴィッド・バーンが着用していた象徴的な「ビッグスーツ」に身を包み、妻を窮地から救うヒーローとなる場面がある。それは彼女の理想の夢だったはずだが、ポール自身の願望が投影された夢でもあった。彼は周囲の期待に応えるヒーローになりたがっていたのだが、その理想に実体が追いついていないことが、残酷にも示されるのである。
理想と実体、夢と現実の乖離に悩まされていくポール / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
ポールの変化や社会の受容は、インターネット社会の風刺としても表現されている。SNSなどに「マンデラ効果」が蔓延しているとするならば、デマに基づく悪評が広まることで、個人に対して苛烈な攻撃が始まる場合がある。その結果、ポールは社会生活をまともに送れないほどのバッシングに遭い、異常な人物たちに命を狙われる事態にまで発展するのだ。
とくに“好きでも嫌いでもない存在”から、“許されざる者”に…。著名であるほど、その影響は大きい。もちろん、夢のなかのポールの行為は現実のポールのものではないので、理不尽なことではある。ボルグリ監督は、この物語を作るきっかけとして、ある人物が風評によって「キャンセル」された事例を参考にしたことをインタビューなどで紹介している。不特定多数の人々によって、突然「悪魔化」されてしまう恐怖は、誰にとっても脅威であるだろう。
■容易には覆すことのできない、世間からの評判
とはいえ、本作はそんな状況に巻き込まれていくポールを、それほど同情的に描いているというわけでもない。そもそも夢を利用して世に出ようとしていたのはポール自身であり、不倫を望んでおきながら、自身は表面的に消極的な態度を崩そうとせずに相手にリードさせる卑怯な態度をとった事実があることも確かなのである。
【写真を見る】体に矢が突き刺さったまま棒立ち…『ドリーム・シナリオ』でニコラス・ケイジが冴えない大学教授を“迷演” / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
家庭が崩壊しようとする事態に対して、ポールは謝罪動画を配信することで同情を引こうとするのだが、それはなんの効果もなかった。この悲痛かつユーモラスにも感じられる描写は、いったん広まった悪評を覆すのが難しいといった世の風潮を示しているとともに、そもそもポール自身が誠実な人間でないことも表現している。彼の言葉が響かないのは、その弁明が単に自身の境遇を憐憫し、保身を願うものでしかなかったためなのではないか。
■お騒がせ俳優、ニコラス・ケイジだからこそ演じられた主人公像
そしてこの役柄を、ケイジが演じていることは興味深い。類まれな演技力で観客を魅了し、『リービング・ラスベガス』(95)でアカデミー賞主演男優賞を獲得したケイジは、『ザ・ロック』(96)や『フェイス/オフ』(97)などアクション大作でも活躍し、ハリウッドの大スターとして賞賛されるようになっていった。
だがその後、度重なる離婚や、泥酔やDV疑惑で逮捕されたり、さまざまな物件や高級車を買い漁るといった、プライベートでの行動も話題となる。彼が大金で購入したなかには、かつて数多くのアフリカ人奴隷を拷問し殺害された現場であり、現在は心霊スポットとしても知られるニューオーリンズの「マダム・ラローリーの邸宅」もあった。しかし、所有した不動産価値の暴落などの事情により彼は多額の借金を抱え、仕事が選べない状況へと陥ってしまう。これらの事柄により、ケイジはスキャンダルの多い俳優としても知られるようになる。
そんなイメージの失墜も影響し、これまで彼のエキセントリックな演技を面白がって編集した動画や画像がSNSに出回ったり、さまざまな「ネットミーム(インターネット上のジョーク)」のネタに利用される“象徴的”な俳優になってしまったところがある。そしてそれは、劇中のポールが経験したように、本人の望まない注目や嘲笑を生むこととなった。かく言う筆者もかつて、ケイジが自身のために購入したという大きなピラミッド型の墓をネタに絵を描いたことがあり、そんなミームの流れの一部となったことを、ここで打ち明けておく。
さらには、そんなネットミームの盛り上がりを利用して、彼の顔がプリントされたジョークグッズが販売されたり、日本でのプロモーショングッズがケイジ本人の許諾を得ていないことでトラブルとなったこともある。ポールの夢への登場がビジネスとして利用されるという展開も、そんな風潮の戯画化である部分もあるのではないか。このように、不特定多数の人々による賞賛と、笑いの的となるネットミーム化の経験を両方体験したケイジだからこそ、本作の役柄に大きな説得力が生まれることになったのだといえるだろう。
ポールは望んでいた結末を迎えることはできるのか… / [c] 2023 PAULTERGEIST PICTURES LLC. ALL RIGHTS RESERVED
じつは、本作に類似した有名な「ディスマン」という都市伝説は、広告会社が仕掛けた「ゲリラマーケティング」だったことが明らかになっている。にもかかわらず、「自分もディスマンを見た」という声が世界規模で発生する事態となったのは示唆的だ。そういった大衆の習性を利用しさえすれば、人々に特定のイメージを与えることで、事実とは異なる方向に煽動したり、ある個人を攻撃させることも可能になってしまう。そしてそれは、SNSにおけるネガティブキャンペーンやデマの流布というかたちで、現実の社会問題となってしまっているように思える。
このような世の風潮を風刺しながらも、ボルグリ監督は、本作においては、とくに強いメッセージを発したり、具体的な改善策を用意しているわけではないようだ。あくまで、これがいまの社会の姿であり、人間の習性なのだということを、戯画化された構図を描くことで示しているに過ぎない。このような作品へのアプローチというのは、まさに「ストップ・メイキング・センス(意味付けなど、やめちまえ)」という境地なのかもしれない。それを受けて考えるのは、われわれ観客の側なのだ。
文/小野寺系