2024年の4月で30周年を迎えた『はやく起きた朝は…』。磯野貴理子、森尾由美、松居直美の3人が日曜朝におしゃべりを繰り広げるほのぼのとしたトーク番組だが、番組の本質はフジテレビのバラエティの伝統を色濃く引き継いでいるのだ。その理由をテレビ番組に関する記事を多数執筆するライターの前川ヤスタカが分析する。
お台場に移転する前から続く30周年を迎えた長寿番組
皆さんご存知のとおり、フジテレビ本社ビルの所在地といえば港区お台場である。
しかし、今から27年前、1997年の社屋移転までは新宿区河田町にあった。
現在その跡地には高層マンションが建ち、唯一その痕跡として名を残していた「喫茶店ふじ」もすでに閉店。フジテレビがそこにあったという雰囲気は微塵もない。
そんなもはや跡形もないフジテレビ河田町本社時代に始まり、現在も続いている唯一のレギュラーバラエティ番組。それが『はやく起きた朝は…』である。
長寿番組ゆえ改めて説明するまでもないが、毎週日曜朝6時30分に、磯野貴理子・森尾由美・松居直美の3人が最近あった出来事を話したり、視聴者のはがきを読んだりするトークバラエティである。この春にはなんとめでたく30周年を迎えた。
もともとは今とは時間帯が異なり、日曜朝9時30分『おそく起きた朝は…』のタイトルでスタート。
その後、日曜13時30分『おそく起きた昼は…』を経て、2005年から現在の日曜朝6時30分『はやく起きた朝は…』へと変遷している。
時間帯とタイトルこそ変わっているが、基本的な内容はこの30年大きく変わっていない。
番組が開始した1994年。それぞれの年齢は、磯野30歳、森尾28歳、松居26歳であったが、今や磯野貴理子は還暦。
3人は人生の半分以上をこの番組とともに過ごしていることになる。
おそらく当初は3人もここまでライフワーク的に長く続く番組になるとは思っていなかったであろう。
バラエティを主戦場としていた3人の中堅女性タレントが、日曜の午前中にゆるく明るくAMラジオのようにトークする番組である。
もしも数年で終わっていたなら人々の記憶にもそんなに残ることはなかったかもしれない。
しかし30年もの長きにわたり続いているが故に、番組の歴史は彼女たちの半生そのものとなっている。
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「視聴者と人生を共にしている」
磯野貴理子は二度の結婚・離婚に加え、脳梗塞で倒れたこともある。
松居直美も結婚・出産・離婚、森尾由美も出産・アメリカ生活・孫誕生などを経ており、3人のほぼすべてのライフイベントがこの番組とともにある。
視聴者は彼女たちとともに歳をとり、彼女たちの人生を見ながら、まるで親戚の会話を聞くように番組を楽しむ。
同じフジテレビの長寿番組でも画面の向こうの『サザエさん』は歳を取らないが、『早く起きた朝は…』は画面の向こうも歳を重ねていく。
この「視聴者と人生を共にしている」感覚こそが、この番組が長い間根強いファンに支持されている由縁ではないかと思う。
元来フジテレビには『めちゃイケ』など、バラエティの体裁でレギュラーメンバーの人生の岐路・葛藤を見せていく伝統があるが、『はやく起きた朝は…』はそういったイベントを過度に脚色せず、あくまで3人のトークの中で消化していく。
例えば、5年前に大いに話題になった磯野貴理子2度目の離婚告白の回。
なんてことのないトークの流れで突然「急なんだけどさあ、あたしさ、離婚することになって」「えっ?誰が?」「あたしあたし」と切り出す貴理子。
号泣する直美に「やめてやめて、泣かないで。悲しくない全然大丈夫」とフォローした後、24歳下の夫に「自分の子供が欲しい」と言われたことを告白という流れであった。
なかなか衝撃的な告白である。
ゴールデンのテレビ番組ならCMを何度もまたいで話すような内容かもしれない。しかしこのトークはわずか2分である。
だがトークそのものは2分であっても、これまで築いてきた何十年もの蓄積があるからこそ、視聴者はなんでもないよと気丈に振舞う貴理子の気持ちも、手で顔を覆い号泣する直美の気持ちも、そしてあえて言葉を挟まない森尾由美の気持ちもよくわかる。
貴理子がこの回で「ずっと見てくれている方にさ、報告をね。急に旦那の話しなくなるのも変だからさ」と話したように、3人は視聴者にトークを通じて人生を見せていく。
そういう番組なのである。