日本にとって民主党の継続ならばよかったのか
ただし、こうしてトランプ政権の危険性を主張すればするほど、それではバイデン=ハリスなり民主党なら良かったのかという問いにも答えなければならない。
バイデンやハリス、そして民主党の「ものわかりの良さ」を評価するなら、過酷な要求はなされないとは思われるものの、それはその方が「同盟国の離反」という破局的な結果を招かずにすむと考えているだけのことで、「同盟国」たるものの本質がなくなるわけではない。
日本はこの「同盟国」を続けることによって、すでに日米繊維交渉の時代から何度も何度もひどい目に遭ってきた。今後、予測される事態が厳しいからと言って従来が良かったということには決してならないのである。
実際、このオブライエン氏の論文は「中国の膨張」やアメリカの弱体化のもとでどうすべきかという観点からのもので、それこそがニクソン(やリンカーン)に通じる「路線転換志向」のものの見方であった。
それは、トランプや共和党が「路線維持」をそもそも持続不可能と見ていることを意味する。あるいは、少し言い換えて、「同盟国」に対する過去とは比較にならない規模の負担分担要求をしなければアメリカ自身がもたなくなる、アメリカ国民の負担が限界を超えると考えているということになる。
トランプや共和党が「アメリカ・ファースト」という名の「自国本位主義」の権現のようになっているのはそのためである。
しかし、こうしてアメリカ国民の負担がどうなろうと我々には知ったことではない。アメリカが世界でしてきたこと、我々にしてきたことの是非こそが問われなければならないのであって、それこそが目的である。私は経済学者なのでその検討は主に経済問題にしぼられるが、である。
たとえば、トランプが「アメリカ・ファースト」を叫ぶ一方で、バイデンや民主党が叫ばなかったのは「世界の正義」を守る庇護者としての大国の自覚を持っていたからだとされる。
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「民主党の善悪観」を鵜呑みにしてはならない
だが、アメリカが「世界の正義」としてやってきたことは殆どすべてがその真反対のものであった。
「民主主義の庇護者」を自称してアメリカは中東やウクライナに民主主義を導入したが、多数派宗教と少数派宗教が国内で激しく対立している国(ユーゴスラビアやアフガン、イラクやシリア)や多数派民族と少数派民族が国内で激しく対立している国(その典型がウクライナ)に多数決民主主義を導入してもそこで社会分裂と内戦しかもたらされなかったことを我々は知っているからである。
もっと言うと、たとえば民主党政権が在韓米軍を維持・強化してきたこと自体、それが朝鮮半島の緊張関係を少しも緩和できなかったのだから、それを肯定的に評価できない。
第1期トランプがやったことは、この緊張関係自体を壊そうとし、金正恩との2度の会談を行ったのもそのためであった。
私から見れば、この意味で第1期トランプがやっていたことの方がよほど「世界の正義」に合致する。バイデン=ハリスやアメリカ民主党の善悪観をそのまま鵜吞みにしてはならないのである。
写真/shutterstock