2025年以降、続々始まると予想されているトランプ政権からのさまざまな「不当な要求」。しかし歴史を振り返ってみると、すでに日本はアメリカから異常な要求の数々をのまされてきたともいえる。
書籍『反米の選択 トランプ再来で増大する“従属”のコスト』より一部を抜粋・再構成し、経済学者の大西広氏が解説する。
最初に潰されたのは日本の繊維産業
トランプの米大統領復帰により、今後のアメリカの対日要求はさらに苛烈なものとなることが予想されるが、かといって過去の対日要求が「苛烈」でなかったわけではない。
日本は1951年にアメリカから「独立」したとは言っても、1957年になると早くも日米繊維交渉という形で、復興する日本産業への輸出制限という不当な要求が始まり、結局のところ、それによる産業界の損失を膨大な税金によって補償するというようなことが強要されている。
たとえば、1969年に米側が日本に求めた「自主規制」なるものも、当時の愛知揆一外相の要求拒否にアメリカが対抗し、そうしなければアメリカ議会で輸入割当てを実施するとの脅しを伴ったものであった。
また、翌1970年には宮澤喜一通産相とワシントンで会談したスタンズ商務長官が「沖縄返還の際に密約したはずだ」として迫ったことから事実上の決裂に至っている。
しかし、さらに翌年1971年にアメリカ側に「自主規制」の具体的骨子まで指示された上でやむなく業界の自主規制案が提示されている。といっても、この内容にも不満なニクソン大統領は「ジャップの裏切り」と口走ったと言われ、やはり次の第三次佐藤内閣で時の通産大臣田中角栄は苦渋の選択を強いられることになるのである。
田中角栄は確かに立派な男で、このために訪米した1971年9月の交渉においてGATT(関税と貿易に関する一般協定)が規制の対象とするのは当該国が「被害」を受けている場合に限ると主張して(実際、この「被害」は相当に小さかったことが後に証明されている)アメリカの要求をつっぱねるだけのことをしている。
だが、帰国直後にはアメリカからの再度の圧力の下、通産省の幹部や佐藤首相、水田三喜男蔵相とのやりとりで対米譲歩による繊維産業界の損失を税収に依存した国家財政で補填するという選択を強いられている。
といっても、この損失補填も後の臨時国会での補正予算ではじめて必要金額の工面が完了するなど、相当にぎりぎりのものではあったが、そうまでしなければアメリカが納得しなかったということになる。アメリカが日本を属国扱いしていたことがわかる。
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支援戦闘機開発をめぐる日本航空産業つぶし
ただし、もちろんこうした「属国扱い」は経済問題に限ってみてもこの繊維交渉に限られるわけではなく、実のところ「防衛産業」に対してもあった。1987~88年のF1支援戦闘機後継機(FSX)の開発選定問題は「防衛産業」自体に否定的な日本の平和勢力が大きな関心を払わなかったが、日本の対米自立にとって実は非常に大きな問題であった。
軍需品の自主開発とはその整備・保守を自前で可能とするもので、それ自体が「対米自立」の決定的な技術条件となるからである。
そして、そのため、当時まだ若干31~32歳の「かけ出し」であった私も京都から東京の「日本航空宇宙工業会」の本部にまで乗り込み、そこでのヒアリングを経て論文まで書いたことがある。
「日本航空工業の技術発展とFSX摩擦」という論文で、そこではエンジン技術を除いてかなりの分野で日本技術がアメリカを上回るようになってきているにもかかわらず、まずは自主開発を封じ込められ、次には「日本主導の新規共同開発」をも封じ込められ、最後にはそもそも「新規共同開発」自体も封じ込められてF16Cという既存米機の改良型の開発に止められてしまっている。
そして、この過程で当時のイージス艦より優れたアクティブ・レーダーや追尾警戒用の後方レーダー、全体システムを統合する超小型高性能コンピュータや統合コックピット、特殊な運動性能技術や電波吸収材、鉄より強くアルミより軽い複合材などの技術が逆にアメリカに流出することとなっている。これらのため、日本の全体設計技術が獲得されなくなったばかりか、日本の最先端技術をアメリカが「共同開発」の名目で獲得することができたのである。