学校教育や保護者向け行政サービスと切っても切り離せない「枠」という概念。こどもを枠に当てはめることで、公教育としての正しさや公平さを担保できます。一方、こどもの特性や性格によっては息苦しさ、辛さを感じることも。千葉県鎌ヶ谷市でカフェ「ヨリドコロ mani mani」(マニマニ)を営む伊藤祥子さんと川崎彩さんは、枠のない「居場所」をつくろうと挑戦している真っ最中です。その軌跡をインタビューしました。
学校と行政サービスに共通する「枠」という課題
――特別支援学校や小学校などで経験を積んできたお二人。それぞれが専門職として働く中で、教育や療育の現場にどんな課題を感じていたんですか?
川崎 学校には「支援学校」「支援学級」「通級指導教室」「通常学級」といった大きな枠組みがあって、どこが学びやすいか決める必要があります。既存の枠にうまくハマれる子はいいけど、ハマらない子どもたちにとっては窮屈。枠と枠の境目に当たるような時も、どちらにも所属意識が持ちづらい。
集団で生きていく力を身につけることは必要だけど、あらかじめ決められた枠にこどもを合わせることはできないと思いました。
左:川崎彩さん、右:伊藤祥子さん
また、こどもにはいくつかの顔があって、学校で見せている面はそのうちの1つにすぎません。当たり前ですが、家族、友達、教師にはそれぞれ違う面が見えているわけで、学校だけでは見えない部分もあります。だから、「枠」のない場所をつくって、丸ごとのこどもたちの可愛さや面白さをじっくり見ながら過ごしたいと思うようになりました。
伊藤 私は行政サービスの1つである相談機関で働いています。行政は市民が平等に使えること、高度な個人情報を守る場所であることが重要です。職員は各々の業務範囲が区分されており、困りごとがある方に対してどのように関わっていくのか、慎重に対応していくことになります。
その場で答えが出せなかったり、ご利用窓口を指定したり、予約を取って対応したりするといったような、枠が決まっている良さがありますが、いわゆる縦割り型になってしまう側面もあると感じていました。
だから、もっと気軽に、予約がなくても相談したいことが多岐に渡っても、いつでも悩みを話せる場所があったらいいなと思いました。カフェなら、お客さんはいつでも好きなときに来られるし、ランチやお茶にだけ気楽に来てくれてもいい。そういう場所を用意したいなと。行政サービスには「公平・平等」という最大の良さがあるので、カフェでは違う良さを提供したいなと考えました。
川崎 「枠」の問題は、学校も行政も同じかもしれません。枠があることで職員が守られる部分もあるし、枠は絶対に必要なもの。でも一方で、枠があることでかえって選択肢が狭まったり、場が窮屈になってしまうデメリットもあります。
このことを伊藤さんと話し合っているうちに、「それなら、私たち2人で枠が存在しない場所をつくっちゃえばいいんじゃない?」という結論になったのが、mani maniを始めたきっかけの1つです。
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いつの間にか「mani mani流の枠」を探している矛盾
――mani maniの経営を通して、難しさを感じる部分はありますか?
mani maniの店内は、かわいい小物やグリーンがたくさん。
伊藤 私たちがやりたいことと、できることと、世間から求められること。この3つすべてを満たすポイントを探るのが難しいですね。「mani mani流の枠」を探しているというか。
川崎 枠が嫌で小学校を飛び出してきたはずだったのに、枠がない苦しさをすごく実感しているというすごく矛盾した状況です(笑)。なんとか折り合いをつけながら試行錯誤して、「私たちはこれ」という枠をつくっている状況です。
伊藤 私たちには、明確なゴールがないんですよね。お店をもっと広い場所に移転してのびのびやりたいとか、ハード面をバリアフリーにしたいとか、そういう抽象的な目標はあるんですが。どうやってそれを実現するか、そのために何をしたらいいのか、さっぱり見えていません。それもあって、価格設定が本当に難しいです。みんなに気軽に来てほしいけど、でもボランティアじゃないし……妥当なラインを探り続けています。