韓国の尹錫悦大統領は12月3日夜、突然戒厳令を宣布した。戒厳軍司令官名が政治活動を禁じ、令状なしに逮捕することができると宣言し「政権によるクーデター」を図ったが、制圧に失敗した国会で戒厳令を無効化する決議を通され、“大統領の反乱”はわずか2時間半で失敗。政権運営に行き詰まった末の逆ギレも不発に終わった大統領は今後、弾劾による失職に加え内乱罪での重刑も予想される。
「戒厳令?1970年代かよ」追い詰められていた尹氏
「尊敬する国民の皆様、私は大統領として血を吐くような気持ちで国民の皆様に訴えます」
12月3日午後10時23分(日本時間同)、突然始まった尹大統領の声明発表をきいた韓国の市民はひっくり返った。
ソウル在住の女性はもはや尹氏を呼び捨てにする。
「尹錫悦の言葉を聞いて耳を疑いました。戒厳令? は? 1970年代かよって感じです。韓国の代表的SNS、カカオトークでは『尹錫悦はついにイカれた』という言葉が飛び交いました」
尹氏は短い演説の中で、国会で多数を占める与党が政府高官の弾劾を繰り返して政府の動きを止め、予算も政府の主要政策に絡むものを削減し、政策が前に進まないと訴えた。
「自由大韓民国の憲政秩序を踏みにじり、憲法と法律によって建てられた正当な国家機関を妨害するものであり、内乱を画策する明らかな反国家的行為です」「国会は犯罪者集団の巣窟となり、立法独裁を通じて国家の司法・行政システムを麻痺させ、自由民主主義体制の転覆を図っています」などと力説する尹氏。
そして「私は北朝鮮の共産主義勢力の脅威から自由大韓民国を守り、国民の自由と幸福を略奪している悪徳北朝鮮追従反国家勢力を一挙に粛清し、憲政秩序を守るために非常戒厳を宣言します」と述べたのだ。
韓国での戒厳令発令は1976年10月、朴正煕元大統領が側近に暗殺された直後以来の重大事態だ。
尹氏の主張の背景と動機を全国紙国際部デスクが解説する。
「韓国では今年4月、国会(一院制、300議席)の選挙で、野党『共に民主党』とその系列政党など尹大統領に批判的な勢力が192議席をとって圧勝しました。このため尹政権は法案も予算もまともに通せない状態が続いています。
それどころか、尹氏の金建希夫人が関与した株価操作事件や、災害現場に動員された兵士が死亡した事故の原因究明を巡る尹氏自身の軍への不当要求疑惑を解明する特別法が、野党の賛成多数でたびたび可決されています。
尹氏は大統領拒否権を発動してこれらを止めてきましたが、最近は支持率が10%台に落ち、あまりの不人気ぶりに与党『国民の力』も尹氏に見切りをつけてこれら捜査特別法の制定で野党に同調する気配も出てきました。
そうなると大統領拒否権でも止められず、大統領夫妻はただでは済まない。ソウルでは週末ごとに10万人を超える政権退陣要求デモが続いており、尹氏は相当追い詰められていました」
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軍と警察、野党を中心とする国会議員、市民が一斉に国会へ
そこで国会の動きと憲法を止めて独裁を図ったのが今回の戒厳令とみられる。
日韓関係筋はこう語る。
「政府の政策に反対されるとか予算が通らないというのは、議会制民主主義において選挙に負ければ当たり前です。大統領はそれを“立法独裁”と呼んで野党やその支持者を『犯罪者』『国民の自由と幸福を略奪している悪徳な北朝鮮追従反国家勢力』と敵視しました。
韓国の世論では、尹氏は見識も思想も、国政責任者に求められるものを持ち合わせていないとの認識が急速に拡大しています」(日韓関係筋)
尹氏が戒厳令司令官に任命した陸軍参謀総長が出した命令には、
① 議会と政党、政治団体、集会などすべての政治活動やストライキを禁止する
② 報道と出版を戒厳令の管理下に置く
③ 当局は令状なしに逮捕、捜索を行うことができる
といった超法規的措置が並んだ。
「要するに、2021年にミャンマーの軍部が起こしたようなクーデターを図ったということです」(全国紙デスク)
だが、尹氏はこの作戦を大統領官邸中枢と陸軍上層部のごく一部とだけ進めた模様で、軍部隊の動きが遅れた。
部隊も大統領演説を聞いてから出動が命じられた気配がある。
「演説を聞いて、軍と警察、野党を中心とする国会議員、そして市民が一斉に国会へ向かい、国会議事堂を誰が押さえるかの競争になりました。国会が定数の過半数の議員の出席で『戒厳解除要求案』を可決すれば大統領は戒厳令を解除しなければならないと憲法に規定されているからです。
戒厳解除要求案を可決しようと野党議員が国会を目指し、これを阻止するため軍部隊と警察も国会へ向かいました。そしてこの軍と警察の動きを止めて議決を助けようとして市民も駆けつけたのです」(韓国紙記者)
この“国会争奪戦”をタッチの差で野党と市民が制したことが、今回のクーデター失敗を決定づけた。
「野党と与党内のアンチ尹派の議員の国会集結が信じられないほど早かったんです。警察が国会出入り口を封鎖しましたが、議員や秘書らはフェンスをよじ登って次々と中へ入りました。
そこへ市民が駆けつけ、警官隊と対峙する形で多数の軍部隊の国会侵入の壁にもなりました。軍特殊部隊はそれでも数十人が国会敷地内に入り、与野党のトップや国会議長の身柄拘束を図るため窓ガラスを破って議事堂内に突入しました。
ここで議事堂玄関などをバリケードで封鎖していた議員の秘書らが消火器を噴射するなどして抵抗し、部隊の足を止めました。
そして尹氏の演説開始から約2時間半後の4日午前1時ごろ、議事堂内で190人の出席議員全員の賛成で戒厳解除要求案が可決されたのです。この瞬間、戒厳令の法的根拠が失われたと捉えられ、軍が国会から撤収を始めたのです」(韓国紙デスク)