浪曲師・二代目京山幸枝若が「人間国宝」認定! 「死ぬまでに人間国宝をいただいて後継者に残したいと思っていた」

「幸枝若という名前で人間国宝をもろたぞ」

また、父である初代幸枝若にどんな報告を? と問われた幸枝若は「幸枝若という名前で人間国宝をもろたぞ、と」と力を込めながら、こう続けました。

「幸枝若という名前は先代の名前で、私は長い間、京山福太郎でしたので、幸枝若を襲名して20年経ってもピンと来てないのですが、幸枝若が重要無形文化財保持者として人間国宝に認定されたよと報告したいですね」

1971年に17歳で初代幸枝若に入門。若手時代は「反発していた」と明かします。

「30歳まで(父と)似ていると言われるのがいやで、いろんな節を変えていました。でも、初代からの幸枝節をやっている限りはどれだけ節を変えようがよう似ていると言われてしまいます。それはもうしゃあないと。開き直って、よし、俺以上に似ている奴がおるか! と思いながらやっていました」


出典: FANY マガジン

入門から53年。浪曲師としての日々をこう振り返ります。

「いろいろなことがあったので言い尽くせませんが、成人になってから漫才ブームが来たときは、舞台に上がっても、漫才が終わるとお客さんが半分以上いなくなって、前も三列目までは誰もいなかったりと、苦しいこともありました。ただ、いろんなところでやるという度胸がつきました」

そして「吉本興業でいちばん勉強になったのは、時代の流れもわかるようになったことです。そういうことを勉強させてもらいました」と改めて吉本への思いも明かしました。