2008年M-1グランプリ覇者「NON STYLE」にイキリ漫才を捨てさせた、”ある人気コンビ”の存在

「イキリ漫才」を捨てて構築した新たなスタイル

じゃあ、どう新しいスタイルを構築するか。当時の背景を少し説明しておくと、2007年2月に「爆笑レッドカーペット」が放映され、定期的な特番として回数を重ねていたころでした(2008年4月からレギュラー化)。

芸人がベルトコンベアに乗って次から次へと登場しては、1分前後のショートネタを披露して消えていく。超短時間のうちに、どれだけ多く効果的に笑わせられるかで勝負しなくてはいけない時代が来ようとしていました。

ショートネタブームも、いってみれば漫才の脱構築です。良し悪しは別にして「2人の会話」を積み上げて笑いをとっていくという漫才本来の形を壊すものでした。

そこで僕は、1つの展開で2つの笑いをとる「二重奏の漫才」ができんやろかと考えました。

このイメージは割と早くから湧いていて、2007年の敗者復活戦敗退の直後には、「これからは、二重奏がやりたいねん」と井上に伝えた記憶があります。井上には意味が伝わり切らなかったようで、「今までのやり方のほうがええんちゃう?」なんて言っていましたが、僕には、それだけではあかんという確信があったんです。

といっても、実際に2008年のM-1決勝で披露した「太ももを叩く反省ボケ」のスタイルに一足飛びにたどり着いたわけではなく、かなり試行錯誤しました。

たとえば、一見、普通に漫才をやりつつ、僕の言葉と動作がズレている、みたいなボケを連発するネタを試していました。

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野球でいえば、「ホームランか? 三振か?」

具体例を出すと「警察の取り調べという設定で漫才コントに入るが、早く打ち上げに行きたい石田が飲み会の動きを繰り返す」というネタです。取り調べのやりとりという通常の漫才に並行して、「石田が飲み会の動きをする」という2つ目のボケを走らせているわけです。これもそれなりにウケましたが、爆発力には乏しかった。

そんなこんなで、あるとき「僕がボケる、井上が突っ込む、それに対して僕が反省する」という2段構造にするのは面白いかもしれへんと思って、いくつか台本を書いてみました。

それが、残念ながら、あまり面白くなかった。活字にしてみたら、期待していたほどではありませんでした。でも、なんだかアイデアを捨て切れなくて、試しに台本には2段目のボケを書かずに井上に渡し、ネタ合わせに挑みました。

すると、台本にはない2段目のボケを入れたときに、めずらしく井上が笑ったんです。これは行けるかもしれないと思って、今度は劇場にかけてみました。当初、太ももを叩くところは3つだけでしたが、それがかなりウケました。

これも本来の漫才の形を壊しています。しかも、太ももを叩いて戒めるたびに、漫才の流れがいったん止まります。漫才の基本としては、流れを止めずにどんどん展開したほうが気持ちいいはずなので、この点でも挑戦でした。

テンポよくポンポン展開するのが上手い漫才の要件だとしたら、その対極のようなスタイルです。でも実は、「あえて下手に見せてみよう」というのも狙いのうちやったんです。「上手いだけ」と言われ続けた僕らからのカウンターパンチでした。

このスタイルを、もっと試したい。そこで、ある大学の学祭に呼ばれたとき、ステージに立つ直前に、僕は井上にこう伝えました。

「ごめん、どうなるかわからへんねんけど、例の太もも叩いて自分を戒めるっていうのを全部のボケの後に入れるから、適当に突っ込んで」結果は、ウケるところはウケるけど、ウケないところは全然ウケないという、しっちゃかめっちゃかの出来でした。

野球でいえば、「ホームランか? 三振か?」の両極端が入り乱れる感じ。それまで大きく外すことはなく二塁打を積み重ね、「NON STYLEは上手いだけ」と言われる漫才人生を送ってきた僕らにとって、その両極端な感じは新鮮でした。

こんな「一か八か感」は今まで抱いたことがない。何かが見えた気がしました。

時はすでに2008年の秋口になっていましたが、ようやく手応えを感じられたので、このスタイルで作り込もうと決意しました。

ネタの大筋はできていました。あとは太ももを叩きながら何を言うか、どこで熱を上げ、どこでちょっとスカし、確実に笑いをとっていくか。検討を重ね、なんとか12月末に間に合わせて臨んだのが、2008年のM−1でした。

写真/AC