【M-1】「なぜ準決勝でウケても、決勝でウケないのか?」NON STYLE石田が振り返るM-1の魔窟

2008年のM−1で見事優勝した「NON STYLE」。寄席とは違うM-1独特の客層や雰囲気の中でいかにお客さんの「笑い」を取るか……全力で向き合った「答え合わせ」の場で得たものとは。 

石田明氏の新著『答え合わせ』(マガジンハウス)より一部抜粋、編集してお届けする。

「二重奏」のスタイルが爆発したM-1決勝

今でもたまに、「優勝したM-1はどんな感じでしたか」と聞かれることがありますが、とにかくめちゃくちゃ緊張していました。出番の前にネタ合わせをしているときも「あれ、次はなんやったけ?」となってしまい、1回もちゃんと通しでできなかったくらいです。

緊張がまったく解けないまま、自分たちの出番が来て、「はい、どうも!」と舞台に出て行ったんですが、その瞬間、口から全部内臓が飛び出たみたいな感覚になりました。心臓がバクバク言いすぎて、井上の声もあまり聞こえない。

ネタ中はずっと、「井上のテンポが遅すぎる。大丈夫か」と焦っていました。でもほんまは井上はいつも通りで、僕が緊張してそう感じているだけやったんです。

最後まで緊張はしていましたが、漫才はとにかくウケた。井上のツッコミで笑いが起きて、僕の太ももを叩く反省ボケでさらに大きな笑いが生まれました。「二重奏」のスタイルが最高の舞台で最高の形で完成したんです。お客さんの爆発的な笑いがガンガン返ってきて、過去イチ漫才を楽しめました。

最終決戦に残ったナイツとオードリーを抑えて、優勝が決まった瞬間、溢れ出てくる涙を抑え切れませんでした。僕にとって決勝の舞台は「漫才とは何か」「どうすればM-1で勝てるのか」に全力で向き合った「答え合わせ」の場で、そこで最高の花丸をもらったように感じたんです。

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なぜ「準決勝」でウケても、「決勝」でウケないのか?

同じ「舞台に立って漫才をする」でも、寄席の舞台とM-1のような賞レースとではかなり違います。寄席では、早い話「より多くの人にウケること」が正義ですが、賞レースでは必ずしもそうではありません。

特に、現在最大の賞レースであるM-1ともなると、万人に通じる「ウケ」よりもっとコアなものを求めるお笑いファンが一定数、見ています。いうなれば「普通のタイ料理よりパクチー増し増しなほうが好き」な人たちですね。

M-1は準決勝を勝ち上がるのが一番難しいんですが、それは、準決勝の会場にコアなお笑いファンが多い環境だからやと思います。

M-1は、万人受けを求められる寄席で爆笑をとってきたような人たちが、むしろ苦戦する世界。特に僕らが挑戦していたころは、その傾向が強かったと思います。

だからといって、準決勝でバコーンとウケたコンビが決勝でもウケるかといったら、そうでもありません。なぜなら、回戦が進むごとに増えてきた「パクチー勢」が決勝では一気に減って、客層がふたたび寄席のそれに近くなるからです。

尖ったことばかりやっていると、準決勝までは勝ち上がれても、決勝で大きくスベる可能性がある。コアなお笑いファンを納得させつつ、ベタな笑いもとれないといけないんです。

僕らは寄席でウケていた口なので、準決勝を勝ち上がるのが大きなハードルでした。

僕らと似た感じで、絶対に決勝に行けると目されながらも一度も行けずに終わってしまった実力派もいます。2024年2月に解散したプラス・マイナスなんかは、寄席ではかなりウケていましたが、M-1では準決勝の壁に5回も跳ね返されました。

一方、POISON GIRL BANDなどは準決勝でめちゃめちゃウケていましたけど、3回決勝に進出して3回とも結果はふるいませんでした。これは、お笑いの能力値が高すぎるからなんですよね。コアなお笑いファンにはウケるので、準決勝は突破できるけど、決勝を見ているお客さんは置き去りになりがちなんです。