【ノンスタ石田のM-1論】お笑いを「得点化」する無理難題が要求されるM-1で、芸人審査員と一般審査員には同じアピールでもいい?

お笑いを「得点化」するM-1グランプリ。プロ芸人の審査にはハマりやすいと言われているが、どうしても作り物感が出てしまう伏線回収のネタは本戦ではウケるのか? 

芸人審査員と一般審査員の違いについて、石田明氏の新著『答え合わせ』(マガジンハウス)より一部抜粋、編集してお届けする。

「あーよかった、伏線回収できた」だけのネタは大減点

最近、前半で散りばめておいた言葉や展開を後半に回収する「伏線回収」のネタが流行っている印象があります。ただ、僕はあまりこのタイプのネタを評価していません。なぜかというと、どうしても「作り物感」が出てしまうからです。

前半は勢いがよくても、後半はボケもツッコミもダレてくる。よくあることです。それを防ぐために、あらかじめ前半にいくつかキーワードを仕込んでおいて後半で回収すると、そこでのボケとツッコミのパンチ力を増強できるんです。いってしまえば、伏線回収はドーピングみたいなものです。

前半に散りばめた伏線的なやりとり自体が、しっかりウケているのであればいいと思います。だけど、たいていはそこが弱すぎるんです。そのせいで、前半のボケやツッコミが後半のための単なる布石になってしまっているのはもったいない。

それに、前半で仕込んだものを後半で回収するのは、そもそも漫才として不自然です。この時点で「偶然の立ち話」という漫才の基本が崩れ、作り物感が出てしまう。それが僕にとっては加点できないところなんです。

もし、本当に伏線回収をネタに取り入れたいのであれば、前半のボケを「お客さんに伏線だと感じさせない」くらい強いものにする必要があると思います。

それができているなと思ったのは、最近だと男性ブランコの「温泉宿」のネタです。

浦井(のりひろ)くんが客、平井(まさあき)くんが旅館の女将という設定でネタに入ると、女将が温泉の効能を「全治癒です!」と説明します。独特のワードセンスと言い方が面白くて、このボケ自体が笑えます。そして、ネタの後半、壊れたルンバを「全治癒」で治すという、全然予期していなかった角度で回収して締める。

要するに、前半の「全治癒」を後半に回収したわけですが、初出の「全治癒です!」だけで十分過ぎるくらい面白かった。こんなボケは見たことがない。見ているほうは素直に笑わされるだけで、「伏線」なんて疑いもしません。

「温泉宿」という設定はベタ中のベタですが、これは「あー、やられた!」と思いましたね。

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芸人審査と一般審査でどう結果が変わるのか?

芸人にとって常に悩みどころなのは、広く一般にウケて売れたいと願う一方で、同業者である芸人に面白いと思われたい願望もあることです。

一般のお客さんとプロの芸人の感覚が同じだったら問題ないのですが、何事も玄人と素人とでは見方も感覚も異なるように、漫才も、芸人にウケるネタと一般のお客さんにウケるネタは少し違います。

また、一般のお客さんの中には、お笑いのコアなファンもいます。では彼らがプロの芸人と同じくらいの感覚を持ち合わせているかといったら、それも違う。

コアなファンはコアなファンで、劇場に足を運んでテレビに出ないような漫才師のネタも見ていたり、SNSで情報交換をしていたりするので、プロの芸人とは違う視点で漫才を見ているところがあると思います。

漫才に一番詳しいのは、もちろん、漫才師です。ゆえに同業者にウケたいという気持ちが先走ると、純粋にレベルが高すぎることばかりやりたくなってしまう。すると当然、一般的には理解されず、コアなファンにも意外と伝わらず、ウケないというジレンマがあるわけです。