「ルックスが合わない」デビュー時に解雇されたローリング・ストーンズの6人目…イアン・スチュワートの果たした偉大なる貢献

約束の場所に現れなかったステュ

それでもステュが弾いている時のストーンズは、躍動感が格別だったとジョンズは証言する。

「彼が入ると、まるで違うバンドになった。リズム・セクションは全く別物になった。ステュには、ビル、チャーリー、キースと寸分違わず共感しているとしか思えない、並外れた感覚が備わっていた」

1985年12月12日、キースはステュと会う約束をしていて、ホテルで待っていた。

すると、チャーリーから電話が入る。

「ステュを待ってるのか?」
「そうだよ」
「それがな、あいつは来ない」

キースはステュが死んだことを知らされた。

「俺たちが間違った時に、これからは誰がそれを指摘してくれるんだ?」

1986年3月にリリースされたストーンズのアルバム『ダーティ・ワーク』の最後には、ステュのブギウギのピアノソロが最後に収録された。

そして30年後の2016年にリリースされた、ストーンズによる初のブルース・カバー集『ブルー・アンド・ロンサム』は、ステュが生きていれば全面的に参加したはずの選曲だった。

キースはレコーディング中に、「特にイアン・スチュワートを思い出した」と語っている。

「デビュー前。みんなでリハーサルする時、ステュはいつも自分のバイクが盗まれてないか、窓からチェックしてたよ。片方でバイクを見て、片方でピアノを見てるんだ。そんなことをしてても絶対に音は間違えなかった」

夜になって街の女が姿を見せ始めても、それでも絶対に音だけは外さなかった。

文/TAP the POP サムネイル/Shutterstock