高校時代にアイドルグループNMB48のメンバーとして活動し、現在はABEMAの専属アナウンサーとして活躍する瀧山あかねさん。1年でアイドルを卒業したのち、多くの後悔や挫折を乗り越えた彼女は、現在バラエティ番組、スポーツ番組のほか、グラビアの舞台でも活躍しています。
アナウンサーのイメージを覆すような「ぶっちゃけキャラ」で人気を集める彼女の信条は「失敗は怖いけど、人生は一度きり!」。そんな瀧山さんの型破りなキャリアとマインドについて伺いました。
アイドルになりたい! 幼少期からの夢を叶えたのち、1年間で卒業
──瀧山さんがアイドルになりたいと思ったきっかけは?
もともとグッズを集めたり、握手会に行ったりするくらい「ハロー!プロジェクト」や「AKB48」が好きで、幼稚園の時から「ミニモニ。になりたい!」と思っていました。目立ちたがり屋でしたし、私も同じ舞台に立ちたいと思うようになったんです。
──その夢が叶い、高校2年生の時にNMB48に加入されましたね。どのような経緯で?
当時、本気でアイドルの仕事をするならば東京に出なければいけないという考えが一般的だと思いつつ、関西に住んでいる私にとっては現実的ではありませんでした。でも、NMB48という関西を拠点にしたグループが結成されると聞いて、「それなら学校に行きながらアイドルができるかも!」とすぐにオーディションを受けることを決めました。
──アイドルになっても学校には通おうと最初から決めていたんですか?
芸能界に憧れはあるけど成功しない未来も見据えておかなきゃいけないなと、幼少期から思っていました。だから、勉強ができる環境は捨てないと決めていたんです。
──すごく堅実ですね。しかし、実際にNMB48のメンバーになると生活がガラッと変わったのでは?
神戸の高校に通っていたのですが、朝学校に行って2限目か3限目で早退。2時間くらいかけてなんばの劇場へ向かい、夜まで劇場公演のお仕事をして、また2時間かけて帰って……という生活サイクルでした。
学業と両立できると思っていたのに、授業を受けられないこともあり、テストの点数も下がっていき、本末転倒になってしまって。修学旅行や文化祭、体育祭などの学校行事は全部行けませんでしたね。
学校から「今のままでは進学できない」と言われたこともあり、1年間でアイドルを辞める決断をしました。
──なぜ、夢であったアイドルよりも学業を優先したんですか?
当時はアイドル戦国時代。NMB48の同期である2期生は23人、1期生は20人以上いて、選抜に入ることができるのは本当に限られたメンバーだけ。そんな中、3期生が入ってくることも決まっていたんです。グループ内で目立つタイプではなかった私は、これまで以上に出番が回ってこないかもしれないと感じたんです。
──アイドルを辞めて、その後は……?
実は幼少期からの夢がもう1つあって、それがアナウンサーになることでした。『めざましテレビ』や『おはよう朝日です』を毎朝観て憧れていたんです。
アイドルを辞めても、アナウンサーになるチャンスはまだある。もちろんアイドルとして突っ走るという選択肢もあったのですが、そのためには学業を諦めなければならない。二つの夢を天秤にかけて、アナウンサーの道に進もうと決心したんです。
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遊びながらアナウンススクールへ通った大学時代
──アイドルをあきらめたことを後悔しませんでしたか?
かなりしました!私が辞めた何年後かに「アイドルを休業して学業に専念します」というメンバーもいて、休業なんて選択肢があったんだ……と。それなら私も休業にすれば良かったと少し思うこともありましたね(笑)
──大学入学後はどのような学校生活を送っていたのですか?
旅行に行ったり、友達と集まって毎日大好きなお酒を飲んだり、「大学生」を謳歌していました(笑)こんな生活は今しかできないな、と思うようにたくさん遊びましたね。
とはいえ、遊んでいただけではなく、絶対にアナウンサーになりたいと思って大学2年生からアナウンススクールに通い始めました。
私が大学1、2年生のころにNMB48が『紅白歌合戦』や『ミュージックステーション』に出演しているのをテレビで観たんです。同期で頑張っていた子たちが活躍しているのを目にして、私もこの場に立てたかもしれないのになんで辞めちゃったんだろう……、と後悔の気持ちが込み上げました。だからこそ、絶対アナウンサーにならなきゃいけないなって。お酒を飲んだり遊びながらも、ちゃんと将来のことも考えていました。