就活で絶望を味わうも、滑り込みでアナウンサー採用を勝ち取る
──テレビ局、それもアナウンサーというのは狭き門ですよね。就活は大変だったのではないですか?
テレビ局のアナウンサーになるチャンスは、基本的に新卒採用の一度きり。だから、そこに向かって全力で準備をしていきました。しかし、フジテレビの試験では最終面接まで進んだものの不合格。人生で一番落ち込みましたね。その後、ほかのテレビ局のアナウンサー試験にもすべて落ちてしまい、私はアナウンサーになれないんだ……、と絶望しました。
そんな時にアナウンススクールの先生からABEMAのアナウンサーの試験があるということを教えてもらって応募したんです。アナウンサーになれる最後のチャンスだったので、採用通知をいただいた時は本当にうれしかったですね。
──実際に入社していかがでしたか?
ただ、当時のABEMAは立ち上がって2年目の新規事業。「アナウンス室」という組織はあったものの、私自身はまだアナウンス技術も未熟なうえに、当然アナウンサーとしての仕事も全然ない。なので、自分たちの仕事はまずアナウンス室の体制を整えることだったんです。外部講師の方にレッスンをお願いして、原稿を読む練習をひたすらしていました。
──アナウンサーとしての仕事と新規事業立ち上げを兼務するような環境だったんですね。
本当に大変で、正直、「私は本当にここでアナウンサーになれるんだろうか?」と思う日もありましたね。『めざましテレビ』で同世代のアナウンサーがニュースを読んでいたり、就活を一緒にやっていた子たちが入社後すぐにテレビに出ている姿を見て、大きな差がついてしまったと愕然としました。
社内を見渡しても、同期はどんどん仕事を任されているのに私は何の役にも立てていないのではないか…という気持ちになることもありました。
──アナウンサーとしての仕事が軌道に乗ったのはいつごろだったのでしょうか?
入社半年後ぐらいですね。ABEMAの番組も増え始めてきたタイミングで、競輪・オートレースチャンネルが新しく立ち上がることになって、その番組のアナウンサーを任せていただきました。はじめてのレギュラーの仕事で、「やっとアナウンサーになれた!」とすごくうれしかったです。
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ぶっちゃけトークにグラビア。芸人さんに愛される型破りなアナウンサー
──過去の恋愛エピソードで笑いを誘ったり、ぶっちゃけトークを披露したりと、現在はABEMAのバラエティを中心にご活躍されていますね。
元々は報道志望だったのですが、会社の先輩から「バラエティで一花咲くかもね」という言葉をもらったことがあり、その気になってしまって(笑)。芸人さんたちとのお仕事はすごく楽しいですし、番組でご一緒したかまいたちの濱家隆一さんにも「瀧山さん、本当に返しが最高」と言っていただけて……、その言葉が凄く嬉しかったです。向いていると少しでも思っていただけなら頑張ってみようって。
バラエティで自分を包み隠さず、好きなことや、過去をさらけ出したらみんなが笑ってくれる。アナウンサーらしからぬ意外な一面もおもしろいと言ってくださる方も多いですし、番組が盛り上がればという気持ちで何でも話しています(笑)。
──2023年5月には写真集を発売するなど、グラビアの活動にも挑戦されました。
もともとグラビアアイドルの方々の写真集を見るのが好きだったので「チャンスがあれば私もやってみたい!」という気持ちはあったのですが、実際にオファーをいただけるとは思っていなかったので驚きました。
それにオファーをいただいたのはInstagramのDMからだったんです。つい、「このご連絡はいたずらなのでは?」と疑ってしまいました。でも、本当だったら大きなチャンスを逃してしまうと思い、社内でも確認を取ってすぐにお返事をしました。いたずらではなかったので良かったです(笑)
アナウンサーがグラビアをやることでどんな反応をいただけるのか不安もあったのですが、仕事でご一緒する方々も「見たよ!」と声をかけてくださって。両親もすごく喜んでくれましたね。
実は最近までアイドルを辞めて良かったのかな……、とずっともやもやしていたんです。でも、徐々に自分のやりたい仕事にチャレンジさせていただく機会も増えてきて、やっと自分の選択が正解だったと思えるようになりました。