『ニコプロpresents佐藤光留自主興行「変態は26時に蠢きだす」』新宿FACE(2024年12月14日)
○飯伏幸太vs佐藤光留vs飯伏幸太×
光留と飯伏が深夜の新宿・歌舞伎町で14年ぶりに対決。ハードヒット&シュートボクシングミックスルールに始まり、急きょ路上プロレスを展開した末に勝利した飯伏は「今、プロレスが好きになれない」と胸の内を明かしながらも、「満足度は本当に個人的に100%」と充実感を味わった。
発言した飯伏だが、格闘技色の濃い戦い、路上プロレス、そして通常のプロレスと、これまでの集大成のような戦いを繰り広げた。バックステージで「ファンを置いていったかもしれないけど、満足度は本当に個人的に100%」と
深夜興行・新宿大会のメインイベントは光留と飯伏の一騎打ち。両者はDDTのブランドだった時代のハードヒットの2008年7・20新木場大会、DDTの2010年10・24後楽園大会と2度対戦して1勝1敗。約14年ぶり3度目のシングル対決となった。
ルールは試合直前に決定。3分無制限ラウンドで奇数ラウンドはハードヒットルール、偶数ラウンドは8オンスグローブ着用のシュートボクシングルールとなった。
ハードヒットルールの1ラウンドが幕開け。ローキックで探り合うと、飯伏がタックルでテイクダウンを奪った。切り抜けた光留がフロントネックロックを仕掛けたところであっという間に3分が経過した。第2ラウンドはシュートボクシングルール。飯伏が重たいミドルキックを打ち込み、光留がボディブローで対抗しても、左右のパンチからローキックのコンビネーションで押し返した。
第3ラウンドを経て、再びシュートボクシングルールの第4ラウンドに突入すると、異変が起きた。飯伏が離れ際にボディスラムで場外に投げようとし、なおも殴りつけると光留が激怒。グローブを脱いで飯伏めがけて投げつけると、乱闘に突入。セコンド勢に引き離されると、光留は「佐藤光留が飯伏幸太呼んどいて、このままプロレスやらずに終われるかよ! どうせ途中でルール変えたって文句は全部俺に来るんだ。関係ねえよ、そんなもん! 飯伏幸太、夜中の4時、ちょうどいいじゃねえか。初めて会った頃のエニウェアフォールで勝負しようぜ」と呼びかけた。飯伏も呼応し、和田京平レフェリーが裁くことになった。
エニウェアフォール戦に突入するや、会場中を入り乱れての乱激戦が幕を開けた。二人の戦いは新宿FACEでは収まりきらず。ついに会場外へ。深夜・歌舞伎町での路上プロレスに突入した。二人はチョップを打ち合うと、飯伏がミドルキックをさく裂。2カウントで返した光留は路上にいた見知らぬ外国人・カブをも巻き込む。突然の参戦となったカブだが、飯伏をバックドロップで投げる援護射撃を見せた。
光留と飯伏が株を連れて会場内に戻ってくると、参戦選手たちが大乱闘を展開中だった。光留と飯伏はエルボー合戦で火花。光留がジャンピングハイキックを見舞えば、飯伏は飛びヒザ蹴りで徹底抗戦。間髪入れずカミゴェをぶち込むと、午前4時32分、会場内外で展開された激闘に終止符を打つ3カウントが入った。
飯伏が光留との14年ぶりの一騎打ちに激勝。試合後、座礼で敬意を表し合うと、光留が「飯伏さん、俺、そもそもパンクラスMISSIONに入ってプロレスやるっていうのは、ハードヒットで飯伏さんとやるのが最初の目的だったんですよ。あの試合、俺、忘れないです。たった15分の試合だったけど、パンクラスの道場で鈴木みのるから2時間ダメ出しされたんで。飯伏さんに勝ってDDTのタイトル獲った時もみんなは飯伏、飯伏って見てて、そこからどんどんねじ曲がって。でも飯伏さんに空へ空へ飛んでいくから、俺、その場でじっとしてなかったよ。地の果てまで誰も見てない暗いとこ掘っていったら、まさか飯伏さんと会うとは思わなかったよ。今日は本当にありがとう!」と飯伏への思いとともに感謝。「俺、飯伏さんが佐藤光留とやりたいって言ったら、もちろんどんな時でも、何があっても、無人島だろうが実家だろうが絶対用意するから。もし、今日、出た選手でこいつとやったら頭おかしいなってヤツがいたら、どんどんリクエスト頂戴。そいつの実家に俺、頭下げにいくから。もし、その時、俺が死んでたら、世界初・葬式プロレスは俺の葬式でやってくれ。棺桶、絶対破壊してくれよな!」とメッセージを送った。
飯伏コールに応えてマイクを手にした飯伏は「佐藤さん、佐藤光留さん。今日、僕が何でここに今いるかわかりますか? わかりますよね? そう、LINEで僕が佐藤さんにある人をつてにつないでもらいました。そして今日、久々にこの試合が組まれました。僕は少しでも今、プロレスが好きになれない。どうしても好きになれない。その部分を佐藤光留なら引かせてくれると思って今日お願いしました」と胸の内を告白。「そして本当に実現しました。今日、本当にありがとうございます。そして今日来てくれた皆さんも本当にありがとうございます」と感謝した。
最後に光留が出場選手をリングに呼び込むと、「1年間、追いかけてくれた人も、途中から佐藤光留を知ってくれた人も、こんだけめんどくせえ人間が一言だけ言うよ。本当にありがとうな! 俺は死ぬまでプロレスやるって言ったけど、第1回葬式プロレスが決まった今、死んでもプロレスやることが決まりました」と宣言。「お前ら死んでも俺の実家に遺影を送れ。お前らも参加させてやる。本当にみんな1年間ありがとう。来年いつ興行やるかわかんないけど、もし楽しいことが知りたいなら、他で見れないものを観たいなら、佐藤光留の興行を観に来てくれ。もちろん他のプロレスも観に来てくれ。とにかくプロレス観に来てくれ。今日は本当にありがとうございました!」と感謝とともに2024年最終興行となった深夜・新宿大会を締めた。
リング上で「今、プロレスが好きになれない」と発言した飯伏だが、格闘技色の濃い戦い、路上プロレス、そして通常のプロレスと、これまでの集大成のような戦いを繰り広げた。バックステージで「ファンを置いていったかもしれないけど、満足度は本当に個人的に100%」と話した飯伏は「佐藤光留と触れることができて本当に今、最高ですよ。幸せですよ」と充実感に満ちた表情を浮かべていた。
【試合後の飯伏】
▼飯伏「我々、飯伏プロレス研究所でこの新宿FACE大会できて本当にうれしいですよ。サイズとか関係ないんで、一人でもファンがいたら、どこにでも僕らいくんで。ドームから一人まで、どこでも行きますよ」
――プロレスが好きになれないということだったが、今日プロレスは楽しかった?
▼飯伏「僕個人ですよ。ファンはごめんなさい。ちょっと置いていったかもしれない。ファンを置いていったかもしれないけど、満足度は本当に個人的に100%。トー横キッズもつれてったし。本当に捕まえてきたから。何にもやらせとかなくて、いたから捕まえた」
――2025年、飯伏プロレス研究所は楽しいことができそう?
▼飯伏「そうですね。僕はアメリカの方も活動があるので、そっちの方も生きながらプロレス研究所もっともっと活性化していければと思いますね」。あと久々にハードヒットルールだったり、難しかった。反則云々関係なしに佐藤光留と触れることができて本当に今、最高ですよ。幸せですよ。また触れることがあったら次はシングルでやりたいなと思います。ありがとうございました。次は東京ドームで。飯伏プロレス研究所・東京ドーム大会やりますよ」